這い蹲ってでも、俺は今日を生きる。


 どすどすと、朝から足音を立てて廊下を渡る片倉小十郎を見つけたのは、義姉の喜多であった。
 彼女はあの奥州筆頭と謳われる、伊達政宗の乳母でもある。故に政宗の寝所の傍で歩いていてもおかしくはないのだが、小十郎は傍目から見ればおかしいだろう。この時間帯は、もう一人の弟である鬼庭綱元と執務をしているはずだからだ。
「景綱。何をそう怒っていますの?」
 声をかけてみる。別に義弟が青筋を浮かび上がらせていても、彼女は怖くも何とも無い。むしろ興味が湧くものだ。
「姉上……政宗様は?」
「まだ起きていませんよ。私が起こしていないのですから」
 そう、政宗は喜多が起こさないと絶対に起きないのだ。例え目が覚めても、だ。
 小十郎もそれを重々知っているはずである。だからこそと思ってか、怒気をはらんだ声で尋ねてきた。
「では姉上……何故起こさないのです?」
「Second Loundをするそうで」
「せ、せか……?」
 小十郎は首を傾げる。政宗が良く使う異国の言葉は、母たる義姫を真似して覚えたのだが、喜多も健気な政宗のために、少しでも詳しく教えようと勉強したのだ。お陰で政宗は流暢な南蛮語を使うようになったが、それが正しく伝わるのは教えた本人の喜多くらいである。。
「どういう意味ですか?」
「愛姫様をもっと可愛がってあげたい、と」
「……」
 小十郎はすぐさま寝所へと足早に急ぐ。全く、と喜多はそれを追った。
「景綱、お止めなさい。愛姫様に殺されますよ」
「姉上! 一体何時だと思っているのです! もはや昼ですぞ!」
 ついに堪忍袋の緖が切れた小十郎は、姉に構わずその寝所の襖を勢い良く開ける。
「政宗様! いい加減に……」
 ……しかし、そこはもぬけの殻だった。


「殿……下で、雷が落ちていましてよ」
「あぁ……小十郎か」
 愛の部屋で、伊達政宗は大あくびをした。先程喜多が起こしに来たので、今は愛に着替えを手伝って貰っている最中だ。小十郎は勘違いしているようだが、政宗は昨晩、ここで愛と寝ていたのだ。
 喜多にはまだ寝るから起こすなと言っとけ、と冗談を言ったつもりなのだが、大真面目に言ったらしい。異母弟の綱元と同じ血は確かに流れているようだ。
「はい。どうぞ」
「ん。じゃ、行くぞ」
 政宗は名残惜しそうに床に入りなおす愛を撫でてやる。そこまで参ってしまうほど、昨晩たっぷりと可愛がってやったのだから、晩までどうにかなるくらいには満たされている。
 部屋を出ると、心当たりを辿って大股で歩いてきた小十郎と目があった。
「ま、政宗様……?」
「喜多が冗談通じねぇ事くらい、思い出せよ」
 そう言ってやると、小十郎はそうだったと、大きく肩を落とす。が、すぐに思い出す。
「で、ですが! つい先程まで寝ていたのでしょう!」
 どうして余計な事は思い出すんだと、政宗はそそくさと逃げたのだが、小十郎の足音はさらに大きくなるばかりである。
「政宗様! 今日こそはこの片倉小十郎景綱、政宗様のために申し上げまする!」
「政宗様。今日の報告状に目を通していただきたいのですが」
 小十郎は声を張り上げるものの、別の声が重なった。見れば、背後に綱元が無表情で紙の束を抱えている。
「ん、あぁ……分かったよ」
 これは助かったと、政宗は安堵の息を吐きながら、未だ小言を言いたげな小十郎を脇にどけるものの……。
「……What's?」
 綱元の後には、同じような紙の束を抱えている者達がいる。嫌な予感がすると、後ずさりしそうになった政宗を、小十郎はその肩を掴んで阻む。
「失礼致します」
「ちょ、Time(待てって)!!」
「隊務(たいむ)、ですと? これは国主である政宗様の執務ですぞ!」
 小十郎の握力は意外に強く、怨念すらこもっている目にも睨まれる。逃げたくも逃げられないから、政宗はそのまま、執務の部屋に連行された。


「猫……代わってくれ」
 昼が過ぎても、報告状の山は一向に減らない。傍で整理している側室の猫御前にそう呻くも、布で顔を巻くという姿の彼女は首を横に振る。
「私は、この国の主の影であって、主自身ではございません」
「そりゃそうだな……はぁ」
 面倒だからと判を適当に書状に押しつつ、政宗は溜息をつく。このような執務は毎日こなしてはいるものの、ここ最近は年貢納入の報告状もあるので、その数は半端ではない。
 一国を治めるのは大変なんだ……少し前に、宿敵にそう言ったのだが、嘘でも何でもない。このような地味な執務もやらされるのだ。ただ、あのお館様についているだけで良い立場の真田幸村が、今はとても羨ましい。
「あぁ……鳥になりてぇ」
 ぼやきながらも、何とか最後の報告状を読み終える。机にうつ伏せていると、従弟の伊達成実が元気良くやってくる。
「梵兄ー! ちょっと稽古つけてくれよー!」
「……はぁ」
 全くもって、執務を免除されている奴らは羨ましいものだ……政宗はさらなる溜息を吐き出した。


「刀は一本だけだぞ」
「わーてるって」
 適当に答えながら、政宗は刀を一本だけ引き抜いた。対する成実は、すでに政宗から賜った『蒼龍・一爪』を装着している。
 装着、と言うように、それは手甲に鉄で固定された刃である。彼はとある事件で負った火傷で、右手の四指がくっついてしまったのだ。
 筆記等の日常的な事ならば左手でもこなせるようになったが、刀まではまともに握る事が出来ない有り様だ。
「おーし! 行くぜ梵兄!」
「Come on!」
 だが成実は生来の明るさを失わず、天性の強さも捨てなかった。武器を改造して、もう一度戦場に立ったのだ。
 以来、彼は従兄の異名に因んで、『独爪竜』と呼ばれている。
「りゃぁっ!」
 武器の性質上、刃を構えるよりも、自然体が楽である。間合いも計れぬその『構え』に、誰もが困惑するだろう。
 だが政宗とて、独眼になって早十数年。目よりも、別の感覚で隙を探る。
 すなわち、気配を探る直感で。
「Ha!」
 上段で振り落とされる刃。受け止めるつもりなどない政宗は、その懐に潜り込む。
 だが、成実とてただでは済ますつもりなどない。
「はぁっ!」
 体勢を低くしていた政宗に、跳びかかって膝撃ち。体術……と言うよりも足技をも駆使する成実の膝は、政宗の頬に食い込む。
「ぐっ」
 刃は成実の胴を浅く裂いただけで、政宗は無様に転ぶ。成実はそのまま後方へ退いた。
「えー、ちょっと梵兄……どうしちゃったんだよ」
 あれー? と、幼児のように可愛らしく首を傾げてみせる成実。一つ年下のくせに、彼は政宗よりもずっと小柄で子供っぽいのだ。
「愛姉に精気吸われすぎちゃってんじゃねぇの?」
「……Hey, お前、今日一日何してた?」
 俺を誰だと思ってるんだと政宗は低く言うも、成実はにっこりと笑う。
「えーと、朝はちょっくら走ってきて、ついさっきまで綱元に稽古つけてもらってた」
「……Shit, お前の言う通りかもな」
 毎日野山を走り回り、体も程好くほぐれた今ならば、先程まで雑務をこなしていた政宗もあっけないだろう。
 だが、それでお仕舞には出来ないほど、政宗は負けず嫌いである。すぐに立ち上がると、剣を構えなおす。
「All right……泣かしてやるから、もう一回来いよ」
「そうこなくっちゃ」
 好戦的な成実は元より異存は無い。
 結局、日が暮れても二人の稽古は続いたのだった。


「愛……次、これ」
「はい」
 愛は御浸しを箸で摘み、膝に寝そべる政宗の口に入れてやる。夕食は普段二人で食べているが、宴になると重臣のみならず、外で皆と飲み食いしている。
「……もう、一年だな」
 ぽつりと、政宗は呟く。こういう夕食の席に、一年前まで父もいた。今は先祖らと共に、城の位牌から政宗達を見守っている。
 ……そして、一年経って変わった事は、思っていたよりも多い事に気付く。
「……時の奴、あれ以上に強くなってたぜ」
「まぁ……殿が弱くなってしまったのでなくて?」
「俺だってある程度はやるぞ、稽古……But, 時間は大分減ったな」
 政宗はそう呟きながら、己の手を見やる。
 三振りもの剣を持つその手には、肉刺がいくつもあって当然だった時期もある。しかし、それも痕になったものが多くなっていた。新しいのは、あまりない。
 一国の主になってから、もう二年。有能な家臣達はそんな若い主を全力で助けてくれる。諸国に比べれば、政宗は家臣に恵まれた方だろう。それは自覚もしている。
 しかし国主にしか出来ない執務も多くあるから、どうしても思う通りにはいかない時もあるものだ。
 その一方で、暇な日もある時はあるものの、自分にために使う時間は大分減ったようにも思える。
「……愛」
「はい」
 愛は箸を動かそうとしたが、政宗がその手を掴む。
「……お前といる時間が、増えたような気がする」
「本当は一人になりたいと仰るのですか?」
 苦笑しながら言う愛だが、政宗は首を横に振る。
「そういう意味で言ったんじゃねぇ……俺も、時みたいにがむしゃらに暴れる歳じゃ、なくなったんだ」
 隻眼が、虚空を仰ぐ。
「……俺は、一国の主だ。この奥州のために、何もかもを捧げる覚悟で剣を振れ、って父上は最期に言ったんだ……俺はその遺言を、俺の子供達にも伝えるつもりだ」
 あの日、虫の息の父が、血反吐吐いてまでも伝えようとした言葉。今でも、その声が耳に残る。
「……でもな、それ以前に俺は男で、お前の夫だ。お前のためにも剣を振るいたい。ただ大将として兵の後ろに隠れたくはねぇんだよ」
「そうおっしゃられるようになりましたら、私が言う事などありはしませんわ」
 優しく政宗の頬を撫でながら、愛は言う。
「民が泥まみれになっても国のために田畑を耕すように、主は血まみれになっても国のために剣を振るうのが道理です……今の私には、厄介な道理にしか聞こえませんけれど」
「No, 自分をそう貶めて言うなよ。今の俺がいるのは、お前がいたからだ」
 頬の手を重ね、政宗は微笑を漏らす。
「お前がいたから……この一年、寂しくなかった。母上代わり、って訳じゃねぇ。お前は、俺にとって大切な女だから……」
「分かっていますわ。そのうち、そんな前口上を無くすほどの女にしてほしいですけれど」
 どこか毒々しい言葉を吐く愛。だが、顔は嫌なものではない。
「奥方様は、私にとってもはや過去のお方……今いらっしゃるのは、出羽の鬼姫そのお人。もう少し、私の魅力が足りませんのね」
「十分足りてるさ……時に何本も取られてるくらいにな」
「ふふ。では、明日はそれ以上に時に取らせて上げましょう」
「良く言うぜ。先に参るのはお前の方だろ?」
 政宗はそう言いながら、尻へと手を伸ばそうとするものの、愛はパチンと手を叩く。
「お食事中でしてよ」
「Shit」
 舌打ちする政宗。愛は日中、気分によって態度が変わるので、誘ってくるまで待つしかないのだ。
 日によっては、夜はとても素直なのだが。


「出羽は今年も良い出来だそうです」
「ま、あの伯父上だ。当然だろよ」
 夕餉後、政宗は綱元からその密書を受け取った。
 極秘のものは大抵自室で手渡される。今回は伊達家の忍、黒脛巾組から届いた出羽の報告書だ。中身は年貢に関連するものが大半を占めていた。
「庄内は元々、米が良くとれるもんな……山背(やませ)が吹くこっちにも分けて欲しいくらいだぜ」
 たかが米とて、戦での勝敗すら決まってしまう要素にもなりかねない。冷たい山背風のおかげで、奥州は今年もあまり良くない結果に終わりそうである。国主だからこそ、溜息をついてしまうものだ。
「津軽も一揆が起こるわでやりたい放題だな。Shit……いつきの奴、そこまでやれって言ってねぇだろ。それとも伯父上の依頼でか?」
「可能性は無きにしも非ず……としか、今は言えません。確認は出来ていませんので」
「Shit……あの辺りはあんまり、騒がせたくねぇんだけどなぁ」
 政宗はそうぼやきながら、傍の引き出しから巻物を引っ張り出す。それを広げ、眺める。
 何やら図が描かれているが、絵巻物ではない。それは綱元も知っていた。
「少し……書き込みが増えてますね」
「あぁ。まぁ、そのうち専門の奴でも呼ぶつもりだけど……やっぱ、自分でこういうの決めたいんだ。これから移る城だしよ……やるなら、派手に作りたいんだ」
 子供のように目を輝かせる政宗に、綱元は薄い微笑をこぼす。
「まだ、小十郎にもおっしゃってないのですか?」
「Hey, 綱元、アイツに言ったら何て返すと思う? 『青葉に新しい城ですと? 冗談もほどほどになさいませ!』って、俺は言うと思うんだが?」
「義弟は己を見失うと、言葉も良く考えません。それくらいの事しか言わないでしょう」
「ま、でも冗談としか思えねぇだろうよ……今はな」
 政宗は溜息交じりでつぶやく。米沢より北にある地、青葉で新しい、しかもこれから伊達の居城として作る城。まだ夢物語も良い所だ。作れると、希望があるうちでしか考えられないだろう。
 だがあの辺りは他の豪族もいれば、一揆も多い。適当な場所がそこだからと、政宗は考えているだけである。
 それゆえに、まだ小十郎にも言えない。小十郎は現実主義者だから絶対に反対するだろうが、生真面目な綱元の方が逆に話くらいは付き合ってくれるのだ。
「……もう、伯父上も母上も……遠い人だ。山形城に近いこの城にいる意味も無い」
 ぽつりとつぶやくと、綱元は小さく囁く。
「愛姫様にも、まだお話は……」
「……あいつが何て返すか分からないうちは……言えねぇよ」
 彼女は、政宗以上にこの城を愛したかもしれないから。
 だが、綱元は首を横に振る。
「そうでしょうか? 私は、何となく……」
「どう思う?」
「……政宗様が行くと言うのならば、共に参るはずだと」
「……そうか」
 政宗はつぶやく。それっきり、二人は黙したままだった。


「Sorry。待たせたな」
 寝酒を持って愛の部屋に急いで行ったが、政宗は首を傾げた。
 いつもなら、襦袢姿か……酷い時には裸で床に入っている愛なのだが、まだ皮衣を羽織ったまま、外を見ている。
「愛?」
「殿、初雪ですわ」
 嬉しそうに愛は言う。見れば、確かに雪が降っている。
「通りで寒い訳だ……上、行くか?」
「はい」
 愛は既に傘を傍に置いている。用意が良いもんだと、備え付けの下駄を履いて、愛を背に負う。
 城の上まで二人が行くのはこれが初めてではない。月見も雪見もここでやっている。
 はらはらと落ちる雪を払って、政宗は愛を座らせる。傘を差し、愛は政宗を中に入れるものの、柄を奪われる。
「俺が持った方が楽だろ」
 愛の背は政宗の胸下ほどしかない。愛が持つと政宗が楽ではないので、素直に頷いてくれた。
 そうしている間にも、雪は降る。皮衣も羽織ってはいるものの、寒いのには変わり無い。
 それでも、二人は夜更けまで居続ける事が多かった。今宵もそうだろうと、政宗が寝酒を渡そうとするが、愛は顔を盛大に歪ませる。
「……私に酌をしろと仰るのですか」
 そうだと政宗は思い出す。コイツはこの間酷い目にあったから、それ以来酌をしてくれない……だが思い出したものの、今更引っ込められない。
「少し飲んだ方が、体も温まるさ。それに、こんなに寒い所じゃ酔えねぇよ」
 もう、とつぶやきながらも愛は嫌そうながらも酌をする。意外と健康にも気を使う政宗であったが、時々羽目を外すのは自覚している。

 特に、二人でいる時は用心に越した事はない……一度、酷い目に遭っているので、愛は慎重に注ぐ。
 政宗とて普段は僅かながらも理性は残してくれるものの、完全に暴走した日の次の朝、見舞いに来てくれた喜多に禁酒してくれと頼み込んだほどである。もう、あんな目には遭いたくない。

 対して、政宗はそんな愛に不満をこぼす。
「んだよ……飲んだって良いだろ」
「良くありませんわ。猫にもあの夜の事を詳細に語りましたわよ。彼女、酔った政宗様には近寄らないでしょう?」
「Ah……アレはお前のせいかよ」
「人助けに悪い事などあります?」
「……なら、城中の酒を隠すとかしたらどうだ?」
 一息で飲み干し、にやにやと笑う政宗。
「それほど、俺を独占したいんだな。あの夜の事なんて覚えちゃいねぇけど、お前にしがみついてた事くらいは何となく、な。それは事実だろ?」
「まぁ。美化されている記憶は事実だとおっしゃいますの? 初耳でしてよ」
「美化かよ……」
 頭を抱える政宗だが、愛は小さく溜息をつく。
「私が一週間も寝込んだ事をお忘れですのね……本当に、酒を隠しましょうか? それとも、あの姫若子のように、禁酒令を出してみます?」
「……それは結局、失敗したんだろ? 反対も多かったらしいしな」
 ここから遙か西にある国を収める姫若子……今は西海の鬼と名高い男が成した政の一つは、諸国でも大分広まっているらしい。その顛末すらも含めて、だ。
 政宗にとっては『良い様だ』などと笑い事にしたいものだが、周りの者はそう思えないようだ。愛の声はますます険しくなる。
「ならば、私の体験談を国中の女達に伝えましょう。そうすれば……」
「頼む。それだけはするな」
 記憶が無い以上は、何を言い出すか分からないし、まず赤っ恥をさらす訳にはいかない。政宗が慌てて言うので、愛は楽しげに笑う。
「ふふ……分かってくれましたら、もうお控えなさいませ」
「No!」
 愛から酒をひったくると、そのまま飲み干してしまう。顔をしかめた愛だが、政宗はその頬に手を伸ばして……。
「んく」
 唇を重ねる。しかも、少量ではあったものの、酒が口移しで注がれる。
 こぼれた酒を丁寧に舐め取ってから、政宗は離す。上機嫌な顔だ。
「お前、酒は初めてだったか?」
「……二度目ですわ。こうされたのも」
「二度目? やった覚えねぇんだけど」
「初めてなのに、散々飲まされましたわ……あの夜に。私の家系は下戸が多いですのに」
「うっ……あ、あの夜か?」
 頬が赤くなる愛に、政宗は思わずうめく。寝込んだ理由はまだ他にもあったらしい。参ったなと今更ながら後悔する政宗だが、愛はそのまま肩を寄せてくる。
「……でも、少しだけ……暖かくなりましたわ」
「……そっか」
 腰に腕を回して、寄り添う。愛の目は、申告したようにおぼろげなものとなっていた。
「……殿」
「ん?」
「……疲れましたでしょう? 一緒に……逝きます?」
 微笑みは、どこか歪んでいる。
「このまま……滑れば、すぐにでも……」
「……それは、出来ねぇよ」
 政宗は首を横に振る。
「……俺は、まだ……死んでも死にきれねぇ。屈辱の汚泥に塗れようとも……俺は、まだ生きなきゃなんねぇんだ」
「……そう」
 愛は、残念そうにつぶやく。
「愛する者の血に塗れようとも……生きますのね」
 政宗は息を呑むものの、愛は、そのまま目を閉じた。
 氷細工のように、繊細で美しい寝顔だった。
 しかし、政宗にそれを見惚れる余裕は無かった。


「……愛」
 部屋に戻った政宗は、眠ってしまった愛を床に寝かしてやる。酒に酔ったせいで寝てしまったようだが、こんなにも弱いとは思っていなかった。
「……前にやったせいで、そうした方が楽だって覚えちまったんかな」
 眠った方が、救いなのかもしれない。そう、彼女は『眠れる竜』――誰にも起こされない方が、傷つかずに済む。
 例えそのまま目覚めなくても、彼女にとって、それが幸せかもしれない……。
「……違う」
 だが、政宗はつぶやく。
「そんな幸せなんか、俺が潰してやる」
 そう、一人だけじゃ寂しい。
 俺が、寂しい。
「お前だって……寂しいんだろ。だから、俺と心中したがってるじゃねぇか」
 噛み付くように、愛の唇を貪る。眠る女との口吻に背徳じみた欲情が込み上がるも、興奮まで達する事はなかった。
「俺だって……お前が死んだら、嫌だ。だから……」
 俺が、守る。
 この手で。
 声にならない叫びと共に、政宗は愛を抱きしめる。しがみつくように。
「国とお前……どちらが大事なんか、もう決まってるんだ。お前が居なかったら、俺はっ……!」
 だが……この彼女にはそんな事は言えない。
 眠った愛を食い入るように見つめて、政宗は囁く。
「……だから、俺は生きる。お前に……ちゃんと言える日が来るまで」
 独白は響く。しかし、決して届かない……そう、今は届かない。
 分かっているからこそ、政宗は隻眼を閉じた。
 明日も、届くはずが無いだろう。でも、いつかは届くかもしれないのだ。
 ……その日のために、明日も翔ようと、心に決めて。



 無様に転んでも、俺は明日を生きる。
 足を取られても、希望がある限り、俺は立ち上がる。



 <了>



▼後書
 ここ最近の近状を思い浮かべて書いてみました。
 私の場合は、自業自得だと思うんですが。(爆)

2006/10/14
2009/12/16…サイトリニューアルにより、加筆修正。

2014/07/13:
 サイト移転により改修
 正に今、これを書いた時点よりも酷い有り様の中、改修中です……ほんと、色んな事がどう転ぶか分かったもんじゃないな。仕事はちゃんと選ぶべきですね、はい。
 色んな方々がご出演していますが、数年後にはこれを越えた大所帯になっております……これもそのうち彼らを交えたパート2を書きたいものですな。

 ちなみにここで義光様が名前だけご出演されておりますが、この方もうちのモ武将です。詳しくは他作品を参考に。
 新設定版では当然ながら原作の素敵紳士? となる訳ですが、義姫様の方も一応彼の妹として出演予定です。これも今からどうなるか怖いな。
 また、政宗の居城が米沢城になってますが、新設定版では原作通り青葉城となります。まぁ、この時は引っ越し予定だったんだよね。ただ、いつまでたっても引っ越ししてなかっただけの話で。(オイ)

 それと新設定版の作品『悪路』は、この話のアップデート版として書いてみたものです……が、そんな風に見えなかったオチ。(え)
 同じテーマを八年ぶりに書いてみたけど、全然違う話になってしまったと。でも何だかんだで『こういうどん底から這い上がって、色んな意味で開き直っちゃう人なんかなぁ』という、私の中での筆頭のイメージが変わってなかった気もしてならんな。そう思うと感慨深くもありますがね。

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