地獄への案内人は、もう俺の傍にいる。
 だから、寂しくなんて無い。


 冬の奥州とて、晴れる日は必ずある。
 伊達政宗は城外の小高い丘に佇んでいた。米沢城も良く見えるそこにあるのは、小さな石碑唯一つ。
 政宗はそれを隻眼で感慨深く見つめる――やがて、声が漏れた。
「……久しぶりだな、小次郎」
 ようやく出た言葉はそれだけだ。その場でしゃがみ込んで、手にしていた寒菊をそっと手向ける。
「立派な墓でも用意してやりてぇ所だが、それは伊達が許さない。お前も分かってただろ? 伊達の者として生まれてきたんなら、自分の足で立つべきだったんだ」
 呟きを聞いているのはただ一人、市女笠を被る者だった。しかしその顔は窺えないほど深く被っている。
「俺のせいだって言うんなら、そっちで言い分を聞いてやる。だから、いつか許される日が来るまでは、ここで我慢してくれ」
 そう囁いた後、黙祷を捧げて立ち上がる。その石碑に背を向けながら、市女笠の者へと左目を向ける。
「猫。行くぞ」
「はい」
 猫、と呼ばれた者は歩き出した政宗に付き添う。返事する声はやや高いが、政宗に良く似ている。
「政宗様……」
「何だ?」
 政宗は振り向かずに歩き続ける。猫……皆には猫御前と呼ばれる彼の側室は、今更迷っているのか口ごもりながらも尋ねた。
「……愛を連れて行かなかったのは、何故ですか?」
「あいつは城の外には連れて行けねぇよ。だから墓もここにしたんだ」
「そうですが……」
「Who care.(構うもんか) コイツの墓参りに行かせて、あれ以上狂わせてみろ。今度こそ俺は腹上死だぞ」
 想像するだけで悶絶ものだが、きっと悪いものでは無いだろう……苦笑する政宗だが、猫は怪訝そうな声で言う。
「ならば、何故殺さないのですか?」
 その言葉に、ぴたりと政宗の歩が止まる。
「Hum……お前もあいつのような目に遭いたいか?」
「……」
 猫は黙り込む。だが、それもしばしの間だった。
「……愛でしたら、喜んでお受けするでしょう。ですが、私は政宗様の影です。政宗様ご自身がそのような仕打ちを受けたいのでしたら、私も喜んでお受けいたします」
「Oh! 上手い事言いやがって」
 政宗の顔に、笑みが滲む。満足のいく返答だったのだろうかと、猫は薄布の下で苦笑しているように見えた。
「But, 俺なら別に良いんだぜ。あれよりも散々な目に遭ってるからな」
 しかし政宗の方が愛に関しては一枚上手だ。楽しそうにそう答えてくれた主に、猫は肩を聳やかすような仕草をしてみせた。


 政宗の半生は常人よりも波乱に満ちていた、とは言えよう。
 輿入れした直後から影武者の任を負った猫だからこそ、正室の愛よりも夫の事を知っている。
 政宗が自身を語る時、いつも物欲しげな顔をしている事も、だ。そんな彼が欲しかったものこそは語らないが、何となく分かった
 彼の半生に、常に影を落とす存在。母たる義姫の愛情だろうと。
 義姫は右目を疱瘡で無くした長男よりも、次男の伊達小次郎政道を愛した――いや、比較ではなかっただろう。
 有無。殺してやろうと企てる母が、その子に愛情を一滴も注がないに決まっている。だからこそ、政宗は愛して欲しいと思うのだ。もっと愛されたい、では無く。
 幾夜も寂しそうに母と次男が共に寝る部屋を見つめる政宗。それを見かねた父たる輝宗は、せめて彼女に似た正室をつけてやろうと思ったのだろうか。文武に優れる美しい姫、田村の愛を政宗に引き合わせたのは六年前、彼が十三の時である。
 政宗はあの日の事を鮮明に覚えているそうだ。雪のように儚く白い顔立ち、楚々とした佇まい、凛とした目つき。中身もまた、名のように愛らしく擦り寄らず、正室としての責任感も伴った態度を取る。無礼だと言えるほど、政宗もあの時は強くなかったか。

 彼が変わったのは片倉小十郎が右目をくり抜いた時と、愛に出会った時だと言われるのも、それほど愛が義姫に似ていたからだと言えよう。実際の所、愛の父たる田村清顕は義姫のような夫に強い女に育てて、嫁ぎ先の権力を乗っ取ろうと企てていたそうだが、それさえも政宗にとっては僥倖だったかもしれない。
 やや暗かった政宗も、彼女のお陰で今のように雄雄しくなった……それを聞いた時の猫は、正直愛に嫉妬を感じてしまったほどだが、同時に自分がそれほど強くなくて良かったという安堵も感じた。
 それは今の愛を見れば分かる事だった。政宗は登竜門を見事に登り切ったが、その糧とばかりに愛を食らっていたからこそ成し遂げたようなものである。
 散々痛めつけて、それでも愛そうとする妻に愉悦でも感じたか、政宗はますます積極的な男へと成長した。弟を殺し、母を追放しても、迷い無く非道を貫くまでに。
 その一方で、愛はとうとう壊れた。元々父からの暗殺の命を遂行しようかどうかで迷ったのも負担になったようだが、政宗の仕打ちが決定打になってしまった。自室に閉じ込められた愛は実家も失い、政宗しか愛する者がいなくなってしまったのだ。だから、愛は政宗を殺そうと試みても殺せないし、愛そうにも愛せない。
 ただ、狂うしかないのだ。
 
 
「あ!梵兄!」
 そんな事を思っていたら、いつの間にか城についてしまったらしい。猫は声の方へと向いた。
 そこに居たのは、政宗に良く似た少年と、無表情の男、そして倒れてもがいている忍である。
「また性懲りも無く忍び込んだみたいでさー。愛姉がしとめたんだよ」
「My god……あいつは人を鴨だと思ってんかよ」
 愛の自室の方へと政宗は仰ぎ見てから、忍の方へと向く。
 そう言いながらも、その顔は既に無邪気なものになっている。
「なら、今日は鴨鍋だな。どこの出身の鴨なんだ?」
「ひっ……」
 だが、その隻眼だけは笑っていない。竜の目に睨まれた忍は呻くだけである。根性ねぇなと呆れる政宗は、男の方を見やった。
「綱元。吐かしてやれ」
「お任せください」
 その男、鬼庭綱元は控えていた臣達に目配せして、震えるしかない忍を連れて行く。政宗の従弟たる少年、伊達成実はあーあと呟く。
「綱元じゃあ可哀想だよ……あんまり気が進まないけど、俺が行ってこよっか?」
「かまわねぇよ。忍びこんだ奴が悪いんだ」
「まぁ、そうだけどさ……あ」
 成実の目が別の方へ向く。上機嫌に日除けの仕込み傘を差している愛がやってきた。
「あら、殿……先程、城の上を飛び回る蝿をしとめましたのよ」
「……蝿、かよ」
 政宗だけでなく、成実も『そりゃ黒いけど……』と呟きながら溜息をつく。猫もつきたくなったが、愛が自分の方に向いた方が早かった。
「猫までそんな装いで、殿とどちらにお出かけでしたの?」
「外の見回りだ」
 政宗以外の者と接する時は、政宗の口調で話すのが常だ。しかし愛はそれを極端に嫌う。理由は分からないでも無いのだが、それが政宗の下命なので例外は許されない。なので愛の前では短く言う事にしている。
 幽閉が解かれた頃に比べれば、実際はまだ良い方なのだ。あの頃は、会話すら成り立たなかったのだから。
 無論、猫も政宗を殺そうとする愛を許すつもりもないし、愛は影武者ゆえに自分とは違った特別な扱いを受ける側室など気に入るはずもない。だから今ですら彼女とは単なる『同僚』の間柄なのだ。
 そもそも、今日の役目は小次郎の墓参りに付き合う事である。そう思い直した猫は凍てついた眼差しを向ける愛から、政宗の方へ向く。
「では、これにて」
「あぁ」
 政宗も愛が苛立っている事を悟ってか、あっさりと頷く。そんなつれない態度に、今度は猫が苛立つ番だった。


「本当は、どこに行っていましたの?」
 成実も二人の邪魔だからと行ってしまい、政宗はしつこく聞いてくる愛にうんざりした溜息を漏らす。
「どこだって良いだろ。そんなに気になるんか?」
「……えぇ、気になりますわ」
 声は小さくなるが、しかし愛はきっぱりと言う。
「線香の匂いがしますもの。それで城外に行っていたとなれば……小次郎様の墓参りくらいしか思いつかないのですけれど」
「・・・Shit」
 政宗は目をそらすも、しかしその先にあるのは、刃。
 愛はいつの間にか、傘を畳んで仕込み刀を抜いていたのだ。抜刀すらも静かな彼女に、政宗は剣術で勝った試しがない。実際、この彼女は小十郎すらも恐れるほどの達人でもあるのだ。
「……そう、貶めた張本人である私に黙っていた方が気が楽なのですわね?」
「そういう事じゃ……」
「同じ事です」
 冷たい視線が、政宗を捕らえる。
「あの方への謝罪の機会まで、私から奪う気でいらしているのであれば、違う事でしょうね。ですが、私が狂う姿を見るに耐えられないのであれば、同じ事ですわ」
「……だろうな」
 政宗は苦々しく肯定する。
 確かに直接的な原因では無いが、きっかけを作ったのは愛である。だから、謝罪くらいはと思うのも当然かもしれない。
 しかし、小次郎は愛を義姉以上の存在として見ていたのだ。だから、小次郎は余計に自分を殺したがっていたのだろう……それが、政宗が事前に知りながらも弟が用意した毒杯をあおった理由の一つだ。少なくとも、処刑の理由は重大なものにしなくてはならない。
「お前を外に出せないからと、かこつけてるのは確かだが……お前はそれを自覚してるのか?」
「えぇ。一応は」
 愛はにっこりと笑う。気持ち悪いほどの満面の笑みで。
「殿が私にあんな仕打ちをしていても、私は貴方を殺しきれない。もしかしたら、愛したいのかもしれない。でも……本当は自分でも良く分からない。自分を見失う事こそ狂う事だ、とでもおっしゃるのでしょう?」
 刃が右方から近づいてくる。が、依然として政宗は動けない。下手に動けば愛の刃がそっと首をはね飛ばすだろう。
 実際、愛に半殺しの目にはあってないが、何度か匕首やかんざしやらで刺された事がある。致命傷にはならなかったが、いつ殺そうかと伺っているのではないかと、疑念をも感じざるを得なかった。
 自分でも良く分からないのならば尚更だ。本人が後悔などするつもりもない性質である事は、政宗も良く知っている事だ。
「ねぇ、殿……」
 擦り寄るように、愛は政宗の間合いへと入った。刃が、刀鍔の紐に当たる。
 かしゃんと、あっけなく外れて地に落ちる。眼球をも抉り取り、二度と開かない右目蓋を晒される事をとにかく嫌う政宗であったが、この彼女に対しては我ながら不思議であるほど、怒りを覚えない。それを良い事に、愛は細い指で痩せた目蓋をなぞった。
「私は、望んでこうなったのではないですわ。父上様を殺して、貴方に黙って侍る事も……」
 愛の顔が、突如変化する。憤怒の顔へと。
 そんな顔を久しく見ていなかった政宗は、思わず固まった。愛の指が目蓋をこじ開け、中へ突き刺した事すら、見逃してしまうほど。
「全て、貴方が私にそうさせた事ですわ」
「くぅっ……」
 さらに奥へと突き刺そうとする愛の手を、政宗は激痛を堪えて掴んだものの、指先が中をまさぐる。平然と、愛は微笑む。
「如何かしら? 毎夜の私の気持ちも少しは理解出来まして?」
「……そう、だな……いつもっ……悪い。今度は……すぐに、いかせてやるからっ……」
 脂汗と血が政宗の右頬を滑る。だが、そんな政宗も口端には笑みすら零している。
「なぁ、めっ……ご……」
 政宗は空いている手を、愛の頬に滑らせる。愛は政宗に目を向けたまま、指先だけを動かすだけだ。
「きっと、お前だけだ……俺と……共に、地獄に行ってくれるのはっ……」
「えぇ、そうでしょうね。小十郎様達は殿に忠実に仕えていますから、地獄へは行かないでしょう」
「そう、だなっ……」
 政宗の手が、愛の肩を掴み、抱き寄せる。
「……一緒に、小次郎に謝りに行こうな」
 囁きが妙に良く聞こえからと、愛は思わず指を引き抜こうと力を込める。
 ……だが、びくともしない。
「と、殿っ!」
 愛の顔は歪むが、政宗は笑ったままだった。


 ――六年前。あの時はこんなに、強くは無かっただろう。

「愛と申します。この命続く限り、貴方様にお仕え致しまする」
 第一印象は陰気、である。愛はそう言いつつも、こっそりとそう思った。
 父の隣で、政宗は俯いて座っていた。この男が自分の夫になるのか。呆れてしまったほどだ。
 が、二人きりになると、政宗はこう言った。
「……俺を、愛して欲しい」
 支えてくれ、でなく愛して欲しい。輝宗からは政宗を支えてくれ、と言われていた愛は、そんな夫の要求に眉を顰めた。
「愛して欲しい? 私は貴方を伊達の当主にするためにここへ……」
 しかし、最後まで言えなかった。パシンと、政宗はいきなり愛の頬を叩く。よろけた愛は地に手をついてしまう。
 だが、そんな事をお構いも無く、政宗は叫ぶように言うのだ。
「そんな事はどうだっていい! どうせ竺丸が継ぐんだ! 俺はただ……」
 そしてすぐに泣きそうな顔になりながら、政宗は言う。
「……一人ぼっちは、嫌なんだ。俺を……俺を俺として見て欲しいんだ」
 その言葉に、愛は声をつまらせる。
 自分も、義姫のように強い女になれと言われて、厳しく育てられたのだ。父は結局、自分をちゃんと見ていたのだろうか……自分を見ているようで、愛は黙っているしかなかった。
「だから……俺を愛して欲しいんだ。俺はそんなやり方……知らないんだ」
 そんな義姫は、この政宗を化け物扱いするそうだ……彼がそれを固執するのも、無理は無いかもしれない。
「……けど、いきなり叩くなんて……」
「え?」
 政宗は片目を瞬かせる。ぼそりと言った愛は、聞かなかったフリをして、立ち上がる。
「……何でもありません。私は、貴方の妻になりますのよ。夫を愛し、支えるのは当然の事ですわ」
「そ……そうなのか?」
「あの方々がおかしいのですよ」
 一応きっぱり言っておこうと、愛はそう言うが、政宗はやはり戸惑っている。
「けど、母上は何かにつけて父上に口出しして……」
「そういう事もありますけれど、ここの御当主は輝宗様でしょう? 私達女子に出来る事は、そのくらいなのですわ」
 愛は微笑んで、政宗の手を取る。驚く彼に、愛はすぐに言う。
「ほら、貴方の手の方が、大きいでしょう? ですから、こうして私の手を引いて下さらなければ……」
「あ、ああ……」
 政宗は、愛の手をぎゅっと掴む。愛は意外にある握力に驚くも、顔には出さないようにする。
「この国の民も、いずれは貴方が指差す方へ向かおうとするでしょう……彼らを導ける、良き国主になられるよう、私がここにいるのです。ですが……」
 空いている手で、政宗の右頬をなぞる。
「貴方がそうお望みならば、私は貴方だけを愛します……貴方の心を癒せる、居場所になるために」
「……それは、違う」
 手が解かれる。代わりに、愛の腕を引き、抱きしめる。
「……俺が、お前の居場所になるんだ。この広い国にたった一人で来た、お前が……寂しくならないように」


 ――いつか、皆が平和に暮らせる国を作るんだ……親が子を捨てぬ国を。
 それは彼自身の望みでもあった。
 だから、彼は人でなしや荒くれ者ばかりを奥州に招きいれ、一つの家族のような軍を作った。
 誰もが政宗に感謝し、命を賭けて、共に戦場を駆け巡った。
『俺が皆を導き、皆が帰るべき国を作るんだ』
 いつの間にか、政宗はそんな事を言うようになっていた。昔の彼の望みとは、少し逸れたものだ。
 しかし愛は何も言わなかった。ただ、彼に抱かれるままに聞くだけだ。
 政宗を愛しながらも殺そうとするようになってから、愛は国よりも、政宗の方ばかり見るようになっていたのだ。
 政宗が国へと独眼を向けるたびに、激しく憎悪を感じてしまう自分が、憎いとも思えない。
 猫の事もそうだ。私だけを見て欲しいのに。
 悔しくて、悲しくて……しかし、政宗を殺せない。
 母のような愛が自分を殺そうとするのに、政宗も愛を殺そうとはしない。そして母の寵愛を一身に受けた弟こそ殺したが、母は最上に送り返しただけだった。
 ……似すぎていたから、殺さないのか。
 そう思うと、酷く悲しい気持ちになる。愛は余計に政宗を憎く思えた。私は田村の愛。最上の義姫ではないのに。
 俺を、俺だけを、愛して欲しい。
 そう言う自身は、一体何処を向いているのだろう……。


 そこで、愛はぼんやりと目を開ける。見覚えのある部屋、自分の部屋だ。
 傍には猫がいる。政宗と同じ姿だが、眼帯をしていないのですぐに分かる。
「……『あの方』の傷は深く無かったぜ。お前のよりは、な」
「……怪我なんて、してませんわ」
 再び布団を被ろうとするが、猫はそれを引っぺがす。
「俺の姿を知るのは『あの方』だけであるように、お前の傷を知るのも『あの方』だけだろうよ。それで良いだろ?」
「何の事です?」
「『あの方』は俺達の居場所だ。共同に使おうって事さ」
「何をおっしゃるかと思いきや……」
 愛は顔を背けるものの、猫はにやっと笑う。
「小十郎は俺の許しを得られさえすれば、すぐにでも会わせてやるって言ったぜ?」
「……卑怯ですわ」
「卑怯なのはてめぇの方だ。もう少しここで頭を冷やしてろ……って、お前は十分冷えてると思うだろうがな」
 猫は立ち上がってそう吐き捨てる。そのまま扉の方へ向かおうとするが、立ち止まる。
「……なんだよ」
 裾を愛に掴まれる。俯く愛は、ぼそりと呟いた。
「……あんな風に、なって欲しくなかった。痛くて辛くて……でも、仕方ないと思っていた。あれが、梵の愛し方だったから」
 猫は黙って聞いている。愛は強く、裾を掴む。
「人を引き付けるほどの強さを、あの方は最初から持っていた。でなければ、あのように気の強い者達をまとめる事なんて出来ない。だから、後悔なんてしない。私を踏み台にして、あの方は竜になれたのよ……それで奥州が平和になれば、それでいい。私のような子がいなくなれば」
「……やっぱり、卑怯だな」
 そんな愛の述懐を、猫はふんと鼻を鳴らして返した。
「自分だけがそんな目に遭ってるように言うなよ」
「……えぇ、そうですわね」
 ようやく裾を離して、愛は立ち上がった。背の高い猫を見上げた目に、僅かながらも生気は宿っていた。
「けれど、あの方が誰かの居場所になろうと思わせたのは私ですわよ」
「証拠なんてあるかよ」
「聞けばいいのですわ、殿に」
「はっ。そう言っても許しなんかくれるかよ」
 だが笑みは浮かべて、猫は背を向ける。
「……まぁ、あの方がこっちに来ちまえば、話は別だけどな」
「そうはさせません」
 と、そこへ小十郎までやってくる。来たのはお前かと、愛は不機嫌な顔をするものの、小十郎は愛の前に座る。
「ようやく胸の傷も癒えたと思ったら……今度あのような真似をしたら、ただでは済まないと言ったはずですぞ!」
「どうするおつもりかしらね?貴方にそんな権限があって?」
「……愛姫様」
 睨む小十郎に、愛は小首を傾げてみせる。
「私を誰だとお思いです? 伊達藤次郎政宗が正室、田村の愛ですわよ?」
「ぐっ……」
 道理の上ではそうである。小十郎はこめかみに青筋をたてるも、愛は知らん顔で続ける。
「そもそも、あそこまでされて何もしない殿が悪いのですよ? それとも、日ごろの行いが悪いかったとご自身も文字通り痛感しておいででしょうね。あれで済ませてさしあげたのですから、感謝こそすれ、どうして私が貴方に責められなければならないのです?」
 見事な責任転嫁だ……と、口元を歪めて逆に感心してしまう猫だが、確かに彼女の忍耐は並々ならぬものである。
 いつでも、こんな部屋から外に出れるだろうに、彼女は政宗が外に出そうとするまで、ずっとここにいたのだから。
「けれど、罪は罪ですわ。なので私は罰を受けに殿の下へ参ります。寝所の方にいらっしゃるのでしょう?」
「そ、そうですが……って!」
 思わず暴露してしまった小十郎の脇を抜けるように歩いて、愛はさっさと部屋を出る。しかし猫は止めようとはしなかった。
 政宗の顔で、笑ってしまったからだ。
「構うな。あいつの言う事にも一理あるさ。切り捨てればいいものを、そうしなかった『あの方』も悪ければ、残ってる左目を潰そうとはしなかった愛も、穏便に自分の鬱憤を晴らしたんだ。めでたしめでたし、だな」
「何がめでてぇんだ! もう少し深ければ取り返しが……!」
「あいつの体を見てからそう言えよ」
 ついに憤慨した小十郎。しかし猫は同じ調子で言う。
「もう出来ても良い頃だって思うんだがな……」
「出来る?」
「……取り返しがつかないのは、あいつの方かもしんねぇぞ」
 猫は一つ溜息を零す。
「まぁ……それでも、『俺』はあいつを手放さないだろうよ。何たって、地獄への供だからな。例え迷ったとしても、あいつが進むべき道を指してくれるはずだ……六年前のようにな」
 苦々しく言うも、その顔は晴れやかだ。政宗もまた、きっとそのようなかおで言うだろうと思ったからだ。
「それに、寂しくないだろ? 向こうはこの国よりも広いんだぞ」
「……そうですな、『政宗様』」
 小十郎はまだ何か言いたそうだが、猫はそれっきり無視を決め込むよう、窓から外を見やる。
 いつも、愛が一人で見る空を……しかし、猫はふと下へと目を向けた。
「何よ……私の部屋よりも良い所じゃない」
「え?」
「何でもねぇよ。それより、この部屋、お前が決めたんか?」
 猫は頭を振って、指を差す。小十郎は眉をひそめてその下へと覗き見る。
 ちょうど、政宗の寝所が良く見える所であった。あんな事があった直後なのに、縁側ではもう二人は寄り添って談笑している。


「Sorry……隙をついて気絶させたんだ」
「お気になさらずとも、そうしなければ止められなかったでしょうから」
 顔の右半分を包帯で覆う政宗に、愛は首を横に振る。
 その言い様だけでなく、澄ました顔にも反省の色はまるでない。政宗は舌打ちする。
「Shit! 今夜は寝かせないからな」
「いつもの事でしょう?」
「Oh, そうだったな」
 苦笑する政宗は、愛の銀髪を梳く。気持ち良さそうに目を細める愛は、小さく囁いた。
「……ねぇ、殿……私は、貴方にとって、一体何なのですか?」
 その呟きに政宗は答えようとしたが、なかなか一つにまとまらない。
 だが今の心境ならばと、胸中に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「そうだな……俺のguideだ」
「……がいど?」
「進むべき道を指してくれる奴の事さ。俺の、すぐ傍でな」
「……殿をこうさせたのは、私とでも?」
「Yes, そうさ」
 仕返しとばかりに政宗は笑って答える。憮然となる愛だが、政宗は髪を梳いていた手を、その華奢な手に重ねる。
 六年前よりも大きく、さらに力強い手で。
「だから……ずっと、傍に居てくれるだろ? 『俺の愛』として」
 囁きの答えの代わりにと、愛はその手を握った。縋るように、弱々しいものだ。いつ離れてもおかしくないだろう。
 それでも政宗は、同じように握った。あの時のような、ただ夢中で離さないように握るのではない……優しく、包み込むように。
「今度、晴れたら……一緒に行こうぜ。小次郎に、謝りに」
「……はい」
 笑顔こそ浮かべる事が出来なかったが、安堵は出来た。愛はその胸に頭を置く。
 積もった雪は未だに溶けきれず残っている。まだ、これからも降るだろう。雪見が好きな愛は、それを期待してしまう。
 ……でも、その『今度』の時は、晴れて欲しい。心の底から、そう思えた。


 傷つき、罪塗れの体を引きずって、私達は果てしない道を今日も歩き続けるだろう。
 けれど、どうか許して欲しい。誰かと共に歩く事を。
 きっと、地獄まで迷わずに行けるだろうから。



 <了>



▼後書
 えー。日記に予告した通りのブツです。いや、キケンブツだよこれ。(汗)
 最後の方は綺麗っぽくまとめてるけど、あれのせいで全部台無しにしてるよ・・・。
 えっと、まぁ。
 私が考える政愛は『表向きは不仲っぽく見えるけど、深い所では繋がっている』ような感じ。
 そういう事を早く言えよ・・・。
 しかも脇役達・・・特に綱元や成実の扱いが・・・。(爆)
 でも大丈夫!長編の方でたくさん活躍する予定だから!(予定かよ。爆)

2006/09/22

2009/03/09:加筆修正しました。うん、色々と設定が変わったので・・・。
2009/12/16…サイト移転により、さらに加筆修正。

2014/07/13:
 サイトリニューアルにより改修
 こちらも違う意味で元凶になった作品です。愛姫様……こんな子にさせてしまってごめんよ……。(土下座)
 当時は実にぶっとんだ内容になったと怯えておりましたが、今思うと原作でも結構容赦なくやってる気もするので、むしろこういう方でなければあの政宗に付き合えないだろうかとも愚考しようかと思ったのですがやっぱり無理でしたごめんなさい。

 ちなみに新設定(BASARA4でのアップグレード版)での彼女は、一部分だけ継承しますが、大分落ち着いた子になる予定です。
 政宗の過去もようやく出してくれたので、再考察をした結果、改変する事と相成りました……さて、どうなる事やら。
 ついでに今後の新作に愛姫も出演させてくれるといいなぁと思いつつ、向こうでも妄想を頑張ります。


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