それは奥州の者達が待ち焦がれる季節。
 過ぎ去ってしまえば、なお心を焦がしてやまない、夢のような三ヶ月。
 愛しい人にとって、彼はそういう宿敵なのだ。

 だから――嫌いな言葉は、その一言に集約される。



 胸の疼きと共に、伊達政宗は目を覚ました。擦ってみれば、さらなる激痛に襲われる……その胸を覆っていたのは白い布だった。
「……It's cold」
 呟きすら白い息を伴っている。布団から這い出てを引戸を開けてみれば、眼前には銀世界が広がっていた。
「……」
 言葉は出ず、胸をまた撫でる。追憶は、しばしの間――この傷みを負った故すらも、今の己は思い出せないのだ。
 だが奥州の冬の寒さは誰に対しても冷酷だ。少し冷えた頭で思い返せば、徐々にあの屈辱の瞬間まで近づいてしまう……。
「……愛」
 縋るように、同じ布団の中にいた妻に声をかけた。名は愛(めご)。六年前に娶り、兄妹のように育ったのだが、同衾したその夜から夫婦として互いを見るようになった。政宗を慕うのは昔のまま――だと思いたい所だが、あれから色々な事があったのだ。純粋に、とは言い難い。
「ん……あ」
 まだ寝ていたのか、愛はぼんやりした目で政宗を見る。だがそれも瞬きの間である。
「……と、殿!」
「Oh……」
 すさまじい勢いで愛は飛び起きると、そのまま夫の胸に飛び込んだ。その軽くない衝撃にまたも鋭い痛みが走るが、泣きじゃくる愛を見て、歯を食いしばるに留めた。
「良かった……もう、目覚めないかと……」
「あの戦から……今日は何日目だ?」
 一つ下の妻の頭を撫でつつ、政宗は布団を引っ張り、その肩にかけてやる。ようやく思い出した事を確認する夫の様子を察する程度には聡い愛である。崩れた目元をぬぐいながらも、答えは簡潔明瞭だ。
「九日目、ですわ……」
「I see! 道理であんなに雪が積もってたのか」
 政宗の苦笑いに、愛はようやく安堵したのか、同じような笑みを滲ませる。
「えぇ……五日前に降り始めましたの。小十郎様は恵みの雪だとおっしゃられて……」
「……俺にとって、そうとは言えねぇな」
 だが政宗は忌々しく独眼を外に向ける。朝から曇天である。また雪が降ってもおかしくはない空だった。


 つたない記憶でも、最後に見たのは間違いなくあの真田幸村だ。政宗は愛に支えられながらも、自分の足で寝所を出る。
 約十日前、ここ米沢城は戦場になりかけていた。武田軍の奇襲だったとは言え、家臣は良く動き、寸での所で戦火は免れた。しかしそれは不幸中の幸いでしかない。愛によれば、城下町は壊滅とまではいかないが、巻き込まれた者は少なくなかったようだ。
 しかもこの季節である。豪雪地帯の奥州なれば、戦を仕掛ける阿呆はいないと高を括っていたせいで、家臣の中にも鬼籍に入った者もいるくらいだ。良く動いてくれたとはいえ、出遅れたという事実は変わらない。
 だが政宗とて家臣らを責める訳にはいかなかった。第一報が入った時、己はたまたま早めに就寝してしまったのだから。しかもこの通り、心の臓のすぐ近くを貫かれた政宗を運んだのは、政宗をかばって第二撃を腹に受けた片倉小十郎である。今は歩く程度なら政宗よりも遥かに具合は良いそうだ。
 そんな彼の小言の連撃に耐えられるかどうか、未だ鋭い痛みが走る胸を撫でながら、政宗は自嘲を漏らすしかない。
「それで、あの暑苦しい……Stickyな師弟はどうなったんだ?」
「そのままご帰還になられたそうですわ。密偵の報告によれば、『春が来るまで奥州攻めはお預けさ』という言葉を聞いたそうで」
「向こうの忍がそう言えって言ったんじゃねぇか?」
「まぁ。良くお分かりで」
 クスクスと笑う愛に、政宗は再び苦笑するに留める。情報操作も良い所だが、甲斐まで戻ったという事は本当のようだ。戻ってしまえば、この積雪のせいで再び出陣するのにも大変だろう。他人事ではあるが。
「俺も……お預けって訳か」
「今は養生ですわ」
 帰りの道中で討たれたりはしないだろうか。武田軍はともかく、政宗にとって大事なのは宿敵の幸村である。
 出遅れたとは言え、政宗は万全の体勢で幸村に戦いを仕掛けた。今でも良く覚えている。見えない右側から攻めるのでなく、真正面から二槍を突き出すのが彼の初手だった。いや、いつもの、とも言えよう。
 あの男の本能任せの槍撃はいつでも政宗を高揚と恐怖が入り混じる戦闘に陥れてくれる。あれこそ策要らずの戦法だろう。小難しい事は一切無い、単純且つ狡猾な暗示をかければいい――『力こそ全て』と。後は彼の独壇場だ。攻めて攻めまくればそれで良し。
 彼の槍撃はそれほど魅惑的……と、言うよりも呆れるほどの暑苦しい情熱が込められている。あの前田の大将は野生的だが、幸村は若さゆえのひたむきな情熱だろう……。
「殿? また虎の若子の事をお考えで?」
 と、つい追憶に夢中になってしまった夫に、愛が甘い声で囁いてきた。政宗は苦い顔で詫びる。
「Sorry……お前と共にいる時は奴の妄想をするな、だったな?」
「えぇ。殿は竜、あのお方が虎なれば、私は兎。構ってくれませんとひっそりと黄泉へ行かねばなりませんわ」
「お前のJokeは昔からキツい……小十郎の小言より深く抉る」
 胸をさする政宗に、愛はわざとらしく澄ました顔で毒を重ねる。
「まぁ。それならばそろそろ、私と共に逝かれます? 田村の侍女らも三途の河原でお待ちになって……」
「それ以上言うな」
 ぼそりと、低く政宗はつぶやく。ひやりとした空気が周囲に漂い始める。
 しかし愛はそのままの顔で冷たく囁くのだ。
「ならば褥にて、殿の胸の中の方が宜しいと? 私は、どちらでも」
 そして美しい顔に歪んだ笑みを乗せる。政宗はそれを見ずに頭を振った。
「お前の好きにしろ」
「……昔から変わらないのは、梵の方ですのに」
 小さく言う愛に、政宗は何かを言おうと口を開きかけたが、目的の場所に着いてしまったのでそれ以上は言えなかった。


 目的の場所とは、小十郎がいる所である。かつて住み込みで政宗の傅役をしていた経緯から城内に私室を持つものの、今は誰もが認める重臣とである。その立場から城に参上する時は部下の教育に時間を割くので、どこにいるかは彼ら次第とも言える。
 昔は政宗の教育が主な時間の過ごし方だっただろう。城内の私室は書物や文の束が整然と積まれているものの、もはや物置同然の見事な寂れぶりである。覗いた政宗はもはや苦い顔をする他がない。
 今日は奥州の恒例行事でもある雪かきだろうかと散策してみれば、確かに小十郎は二の丸周辺の雪かきの指揮をしていた。いつもは部下に混じって率先して鍬を持つはずの彼は、先の怪我のせいでさすがに自粛されているようだった。腰掛けに座らされて、厳めしい顔に苦い表情を重ねている。
 しかし予告無しでやってきた政宗を見た途端、すぐに腰を浮かせた。
「政宗様! こんな所まで……いや、もうお目覚めに……!?」
 混乱しているので顔は驚きと喜びが綯い交ぜである。それは臣も同じで、うっかりと屋根から転げ落ちる者もいた。雪の上だから無事だろうが。
「な、こ、ここで一体何を! どうか寝所でご養生を……」
「それはてめぇも同じだろ。蔦がすっ飛んでくるぞ」
「蔦はもうすっ飛んで来ましたわよ、三日前に」
 未だに混乱している小十郎と面白がって笑い飛ばす政宗。その脇で愛は楽しげに言うものの、小十郎は必死の形相で政宗に詰め寄る。
「政宗様! 私は貴方様よりも大事な体ではありません!」
「でも他の奴らより重症だろが。雪かきなんざ誰かに任せてお前も寝てろよ。どーせこんな展開だと思って来てやったんだぞ」
 フンと鼻を鳴らす政宗だが、小十郎は申し訳無さそうな顔に、ほんの少し疑いの色を混ぜている。
「……初陣の後でも、そんな事がありましたな……」
「うっ」
 思わずうめく政宗に、やはりと小十郎はすかさず厳しい目を向ける。
 それは四年前の事である。初陣の政宗は戦にこそ勝利したものの、無傷では無かった。矢が肩に刺さったのに気づかず、城に着いた直後に失血で落馬したのだ。
 大事には至らなかったものの、政宗は目覚めた直後にも関わらず、流鏑馬の稽古を所望した。『絶対やり返してやる』と政宗は強気に言ったが、小十郎は唖然と見ていた臣に目配せして、すぐに政宗を取り押さえた。その後は当然の如く寝所にて小言の矢を政宗に浴びせ、ようやく主の心を折ったのだ。
 それを思い出したか、小十郎は今回も慎重に対応する事にしたようだ。だが同じように思い出した政宗とて、もう小言で屈するつもりはない。
「今日は二槍の稽古を申し入れるつもりではないのですか?」
「そんな事言うつもりで来たんじゃねぇ。俺をいくつだと思ってるんだ?」
「雪かきでもいいから、体を動かしたいそうですわ。私は一向に構いませんわよ。傷口が開いても、馬鹿は死ななければ治りませんもの」
 悪戯っぽく囁く愛。小十郎は目を吊り上げるものの、愛が空を見上げたのを見て、つい同じ方を見やる。
「でも、今日は残念ながら」
 持っていた花色の傘を差して、政宗を入れる。苦い顔で、政宗は白い息を吐き出した。
「ったく。総出で俺を阻むってか。春が来たら覚悟してろよ」
「八つ当たりはあの方になさいませ。私は手を叩いてお見送りしますわ」
 政宗に柄を持ってもらって、愛は夫に肩を貸す。空がいよいよ怪しくなったと思えば、雪が降り始めたのだ。城へと戻ろうとする主を見送りつつ、小十郎は臣達の方へ向いた。これでは雪かきも中止にせざるを得ない。
「今日は政宗様が起きた……それが進展だな」
 臣達も満足そうに頷いている。肝心の雪かきは水の泡だが、その空気は温もりすらも伴うほど穏やかになりつつあった。


「本当に……忌々しい空だ」
 再び寝所へ押し込められた不機嫌となった政宗だが、そのようにした本人は怪我人にそこまで構う者ではない。
 枕元から空を見上げる政宗に、愛は謡うように囁いた。
「私は好きですわ。冬にこそ、奥州は本当の姿を見せる……そう思いますの」
「……確か、あの日も雪が降ったな」
 火鉢の炭をつつく愛は、しみじみと呟く夫の方へ向く。
「あの日、とは?」
「俺とお前が夫婦になった日だ」
 ニヤリ、と政宗は笑ってみせる。
「あの日は特別寒かったからな……」
「そうでしたか?とても熱いと思いましたけれど?」
「Oh……そういえば、そうだったな」
 空いていた愛の腕を掴み、引き寄せる。また胸に飛び込まないよう、愛は注意していたようだったが、それでも正座を崩してしまう。
「ご養生、と言ったはずですのに」
「膝枕ならいいだろ?」
 諦めて傍に寄った愛の膝に頭を乗せる政宗は、気持ち良さそうに左目を瞑る。
「……でも、夜は駄目か?」
「駄目ですわ。惜しいですけれど、傷口が開いたらそれが最後になってしまいますよ」
 にっこりと微笑んで拒否する愛。政宗はこれ見よがしに残念そうな顔をしてみせた。
「……退屈だな。色々と」
「春までお待ちするしかありませんわね」
「……Rivalも、こんな調子だろうよ」
「らいはる?」
 夫の掠れた声に小首を傾げる愛だが、体力を使い果たした政宗はそのまま意識を手放してしまう。
 退屈ではあれど、冷たくはない。それでも十分良い気もしたのだ。
 
 
 ……さすがに異国の言葉まで分からない愛は、その言葉に対して別の解釈をするしかなかった。
「そうですわね。来春(らいはる)も……この先も、ずっとこのままが良いですわ。貴方をこの手で殺す、その時まで」
 眠る政宗の髪を撫でる愛だが、その顔は例えようもない悲しいものだった。
「……だから、冬が好きなのですわ。全てを隠してくれる、雪が降るから。〝梵〟が好きだった昔の私が、〝殿〟を殺したいほど憎い今の私になってしまった日も、降ってしまったけれど……いいえ、昔の私を埋葬するために降ったのかもしれませんわね」
 愛はそっと、政宗の頭を布団の上に戻すと、立ち上がって窓辺に寄る。
「……それとも、〝夫〟を愛したい私を、隠したいから……?」
 だがそれ以上は声にならない。襖を閉じて、小さく息を吐く。
 
 
 ……その後ろで、政宗は目を閉じたまま妻の述懐を聞いていた。しかし、何も言う事は無い。
 そんな権利すら無い事を分かっていたからだ。
 やがて、愛は添い寝とばかりに寝床に共に入る。政宗の顔をちらりと一瞥しただけで、その胸に顔を寄せる。
 嗚咽が、小さく響く。寝ているはずの政宗が抱き寄せても、愛はただその胸で泣いていた。


 だから冬が好きだった。
 愛しい人が自分だけを想ってくれる、その唯一の季節が。
 だからあの彼が嫌いだった。
 愛しい人が自分以外の事を考えられる、その唯一の宿敵が。
 しかし、無常にも時は流れる事は愛も知っている。
 奥州の者ら以上に、政宗は待っている。
 その時を。その男を。


「Rival……なるほどな。金輪際、お前の前ではいわねぇよ」
 政宗はそのまま己の胸の中で眠ってしまった愛に囁く。
「お前の嫌いなものが、その一言に集約されちまってるからな」
 顔には、苦々しい笑みだけを浮かべて。



 <了>



▼後書
 これ考え付いた時、正直上手いなぁ私と思いました。そんな貧困なボキャブラリー。(涙)
 一応、これが政愛話の基本的な指針になります。またなんか、人物表みたいなもんを作りますが。
 ちなみに、『蔦』とは大河ドラマ『独眼竜政宗』における小十郎の妻の名前です。(史実は不明)


2006/09/05
2009/12/16…サイト移転により、加筆修正。

2014/07/13:
 サイトリニューアルにより改修
 誤字脱字・書式の修正だけでなく、分かりにくい所を修繕しています。この時は?の後に空白入れるとか、三点リーダは偶数個繰り返すとか、そんな基本的な書き方も全く知らんかったんだよ……。(その様で投稿までしてたのだから、我ながら恐ろしい事しでかしてきたな)
 痛々しい後書きも履歴としてとっておきますが、そうか八年前に書いたものか……そりゃ自分でもよう分からんものになってる訳だ。(苦笑)
 
 ある意味この作品が全ての元凶になっております。いやぁ、ここから五年の間に百数頁も書き散らしたんですよ。
 我ながら黒歴史化するのも勿体無いなぁと思い、今回の改修を決意しました。ここまで閲覧してくださった方、本当にありがとうございました。
 その後の小田原攻め(※3での話)もこんな調子だったのだろうなぁと思うと、小十郎もおちおち寝ていられませんね。そんなエピソードにつきましては、新設定の方で書かせてもらおうと考えておりますので、その際は改めてよろしくお願い致します。

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