こんな日なのに……。
 何で俺はこういう受け取り方しか出来ないんだろう。



 葉月の三日。
「何だ? この騒ぎはよ……」
 朝から騒がしい事この上ない。
 長曾我部元親は頭を掻きながら、寝ぼけ眼で襖を開ける。
 廊下には、慌ただしく行き来する侍女達。米沢城はかくも騒がしい所だとは察していたのだが……。
「なぁ。今日は何の日なんだ?」
 揃って慌ただしい者の中から、ようやく侍女の一人を呼び止める。ここの侍女は荒くれ共に免疫があるせいか、元親にも部下にも物怖じしない。さすがに気を使って『普通に接しろ』とは、この米沢の城主たる伊達政宗が言うはずも無いだろう。
 侍女は銀髪独眼の元親にも戸惑わず、素直に答えた。
「今日はお屋形様がお生まれになった日です」
「……あいつの誕生日? 祝いでもすんのか?」
 ここはそんな事までするのかと、ちょっとだけ羨ましくなった元親だが、しかし侍女は首を横に振る。
「いいえ。そこまでは……」
「なら、何で騒がしいんだ?」
「あっ……も、申し訳ありません……!」
 寝ている客を起こしたのかと思ってか、侍女の顔が青くなる。そこまで図々しく居座るつもりもないからと、元親は手を振って否定する。
「あぁ気にすんな。もういい加減に起きねぇとな……それより祝いじゃなかったら、何しようとしてんだよ?」
「定期的に行う合同訓練だとよ」
 と、言ったのは、後方からやってきた菜々である。まだ日も登りきっていないのに、既に彼女の白衣は煤けている。
 ついこの間、米沢に攻め入った元親であったが、結果は惨敗……正確に言えば、勝負も何もあったものではなかった。それどころか自慢の重騎をあっさりと壊されたので、菜々が修復作業を朝から晩までやっているのだ。
 元親は専ら操縦役なので、修復までは手伝えない。しかし壊したのは自分だと分かっていながらも、菜々は手伝えとも言わずに、黙々と作業し続ける。それが怖くて、元々弱かった胃が最近調子悪いのだ。
 そう考えていると、またもキリキリと痛み出す。腹を擦りながら、菜々に聞く。
「合同訓練か……どこでやってんだ?」
「城内の訓練場だ。それより、腹が痛いんか?」
 と、懐から七鳩酢草の紋の印籠を取り出す。こういう時だけは優しい妻である。無理を言わずその中から出した薬包を貰う。
「悪ぃ……東国の料理は悪くねぇがよ」
「腹出して寝てるからだろ。ったく、こんな歳になってよ」
「……」
 『脱がす』のはお前だろ。しかしそれを言えないまま、元親は直立不動になっていた侍女に水を頼むしかなかった。


「愛姉様。お早うございます!」
「あら。お早う」
 一方、政宗が合同訓練で朝も早かったためか、手荒な事は免れた愛は久しぶりに早起き出来た。
 と、言うよりもこの日だったかもしれない……愛は苦く思いながら、廊下の向こうから来た登勢に朝の挨拶を返す。
 今年はどうしよう。そう思って迎えた政宗の誕生日。
 昨年は何とか、着物を贈ったものの、今年もそれにする訳にはいくまい……はぁ、と溜息をつくと、登勢が首を傾げた。
「どうしましたか?」
「……今日は、殿がお生まれになった日ですのよ」
「そ、そうなんですか!? ど、どうしよう……!」
 何かした方がいいのかと、慌てる登勢。表情がころころと変わる彼女は、このまま眺めていたくなるほど可愛らしいのだが、ずっと困らせる訳にもいかない。
「貴女は良いのよ。けれど、私は妻ですから」
「そ、そうですか……」
「それなのに、今日まで何をしてさし上げたら良いのか、分からなくて……何か、殿方を喜ばせる良い術は無いかしら?」
「と、と、殿方にっ……!」
 登勢は顔を真っ赤にする。あまり進展が無いように見える登勢と伊達成実だが、順調だという事は愛も知っている。
 多分、彼女も何かはしてるという事だ。すると、登勢はおずおずと言い始めた。
「え、えっと……成実様は、私の……料理を褒めて下さいますけれど」
「……料理」
 しかし、その言葉に愛は顔を強張らせた。
「……それは、無理でしょうね」
「え? どうして、ですか? きっと……政宗様も褒めてくださると……」
「そう……貴女、知らないのね」
 愛はそっと、溜息をついた。


『愛! 食ってみろよ。俺が作ったんだぜ』
 と、差し出したのは芋汁である。この地方では良く食されていると聞いた事があるし、愛も何度か食べた事がある。
『と、殿が……?』
『あぁ。体も暖まるし、良いだろ?』
 その当時、愛はまだ幽閉されていたものの、政宗が愛の部屋まで夕餉を届けるくらいは許されていた。
 寒い部屋で、それはまだ湯気がたっている。冷めないうちにと、すすってみる。
『……おいしい』
『だろ? 俺、料理得意なんだぜ』
『そうでしたの……』
 そんな事を聞いたのは、初めてであった。今まではそんな事をする姿も見せなかったのに。
『……お隠しになってたのですか?』
『そうじゃねぇよ。そういうの、母上が好きじゃなかったみてぇでよ……』
 政宗は小さく笑う。それで、愛は察した。
 きっと、彼は自分の料理を母に出し、口もつけてもらえなかったのだろう。毒でも盛られると思われて、か。
『……明日から、殿が作ってくださいますか?』
『ん?』
 昔を思い出してか、少し陰のある政宗に、愛は精一杯微笑んで見せた。
『私の食事を、ですわ』
『そうだな……暇、だったらな』
 政宗は苦笑してみせるが、しかし本当に嬉しそうに頷いた。


「それから時々ですけれど、私に料理を振舞ってくれましたのよ。今も、たまに宴に何品か……」
「それでは、私も何度か……」
「ふふ。殿は自分が作ったと言えば、誰もがおいしいと言うに決まってると思ってらっしゃるのですわ。ですから、こっそり出していますのよ。本当においしいと誰もが認めている事なのに」
「でも、それなら……」
 登勢は笑って言ってみせる。
「きっと、愛姉様の料理も食べてみたいと思ってますよ」
「……そうかしら?」
 あの料理は、一介の武将が作ったものだとは思えないほどの出来である。
 それなのに、作った事もない自分の料理を褒めてくれるだろうか。愛は不安な顔であるが、登勢は力強く頷く。
「大丈夫ですよ。今から作り始めれば、夕餉には間に合いますよ!」
「……だといいけれど」
 ……かくして、誰もがしばらくは忘れられぬ出来事が始まった。


「愛が?」
「えぇ。内緒にしてと言われたのですけれど」
 くすくすと、喜多は政宗に茶を注ぐ。昼餉を届けに来たついでに、それを政宗に伝えに来たのだ。
「登勢姫様が指南してくださってるから、期待して良いですよ」
「Oh……そりゃ、楽しみだな」
 実に楽しそうに、ぐびりと冷えた茶を飲み干した政宗に、隣で一汗流した成実が笑う。
「去年は幸兄との決闘でおじゃんになったもんな。ちゃんと残さず食べろよ?」
「時、それは黙っとけって言ったろ」
「ほぅ。決闘とは何の事ですかな? 政宗様」
 ふらりと、目前に現れた片倉小十郎が首を傾げてみせる。
「昨年の今頃は確か……亘理の城に出かけたはずでは?」
「い、Yes! 適当な事言うんじゃねぇ!」
 政宗は何とか不満な顔を取り繕って、成実を怒鳴りつける。
 だが小十郎も長い付き合いをしてきただけはある。成実の方を向くと、有無を言わさず言った。
「成実様。後で『その適当な事』について、じっくりと聞かせてもらいますが、よろしいでしょか?」
「……はぁい」
「時は関係ねぇぞ!!」
 政宗はあっさりと下った成実を睨みつけるも、強がりにしか思えない声で言うしかない。
 喜多はそんな義弟をたしなめる。
「景綱。もう一年も前の事なのよ?」
「……義姉上もご承知の上だったのですか?」
「私は愛姫様に聞いただけよ。『もしかしたらと聞いてみたら、図星だった』って」
 真実をひけらかせてしまった乳母まで怒る訳にもいかず、政宗はもはや黙る他がない。
 ――そんな彼らに、横で見ていた元親が吹き出すように笑った。
「何か、弟みてぇだな」
「そうですね。出来が悪い弟、と言うのでしょうね」
 元親と共に訓練に参加していた側近、福留隼人はぼそりと毒を吐く。
「とは言っても、元親様も人の事言えませんけれど」
「そういう事は心の中で言えよ……でも、あの姫が料理か」
 無理矢理話を変えるように、元親が何やら思い浮かべるようにつぶやく。
「……いいかもな」
 つい顔をにやけてしまった元親に、聞いていた政宗が冗談じゃないと怒鳴る。
「お前なんかにやんねぇぞ。今日は俺のBirthdayなんだからなっ!!」
「んなの言われなくたって分かってるさ。あーはいはい。おめでとな」
「て、てめぇっ!」
「梵兄……大人げないからやめろよ……」
 成実は怒り始める従兄を適当に諌めつつ、しかし意外そうな顔をする。
「それにしても、愛姉が料理か……あんまり期待しねぇ方が良くねぇか?」
「んだよ。お前もそれか?」
「だって良く考えてみろよ。武術とかそういう関係のもの以外に、愛姉……何が出来るんだ?」
 それに、ぴたりと伊達軍が止まる。その反応に予想外だったのか、元親が意外そうにつぶやく。
「な、何だ? あの姫さん、何でも出来るんじゃねぇのか?」
「そうとも言えねぇぜ。あいつ、女らしく出来る事といえば……」
「政宗様。ここではお控えください」
 小十郎がずばりと言うので、元親も『言いたい事』は何となく悟ったようである。そのせいか、それ以上は追求を避けるように口を噤む。
 だが政宗は隠すことでもないからと、溜息まじりで囁いた。
「花も茶も、並以下だぜ。まぁ、琴は何とか……」
「そうかそうか。あいつ、武術だけ叩き込まれてたんだな」
 と言ったのは、追加の握り飯を届けに来た菜々であった。
「ま、あのくらい強かったら、犠牲にするもんもあったろうな」
「そういうてめぇはどうなんだ?」
 政宗が聞くと、菜々は偉そうに豊満な胸を張りながら答えた。
「アタシは嫁入り前に魔王ん所の帰蝶姐さんからしごかれたんだぞ。そのくらいはひと通り出来るさ。なぁ?」
「まぁな。手料理までは食った事ねぇけど、茶は菜々のが一番うめぇぜ」
 元親も納得顔で頷いたので、本当なのだろう。だがやはり……と政宗は本音を隠さすつぶやく。
「But……意外って言ったらお前もそうだろが」
「うーん。確かに」
 成実もしげしげと菜々を見る。そんな二人に、菜々は口元を吊り上げた。
「昔はアタシもお淑やかな大和撫子だったんだぞ」
「Hey,だったらどこで道を外したんだ?」
 政宗は真顔で茶化す。傍で聞いていた伊達軍だけでなく、長曾我部軍までも同じような顔で疑わしげに見る。
 その中で、何かを知っているらしい元親だけが忌々しそうにつぶやく。
「『あのクソ野郎』のせいだ……」
「知っているのですか?」
 隼人も理由を知らないのか、首をかしげている。そんな周りの反応に、菜々は肩をすくめてみせた。
「まぁ、アタシに色々教えてくれた人さ。なのにコイツ、帰蝶姐さんにまで迷惑かけてよ……」
「魔王の奥方にまで迷惑掛けられるくらい、やんちゃか……ますます政宗様に似てるな」
「おい」
 こっそり溜息をつく小十郎に、政宗は顔をしかめる。
「何でこいつと似てんだ? 竜の右目も曇っちまったか? あ?」
「それはこっちの台詞だぜ」
「……はぁ」
 小十郎が再び溜息をついている。誰もが思っている事を本人達が否定するのなら、もはやどうしようもないとばかりにだが、政宗は知らない振りを決め込む。
「そんじゃ、アタシは愛ちゃんの所、行って来ようかなっと」
 そんな不甲斐無い男達を尻目に、菜々が元気良く宣言する。
「おい。愛に近づいたらただじゃおかねぇぞ!」
 政宗は菜々へと鋭い目を向ける。最近の彼女は『愛ちゃん』と、いつぞやの前田慶次のように呼ぶのだ。
 そういう奴らに限ってその呼び方だ……だが菜々は政宗に対して、意味深なにやけ顔を見せてやった。
「覗き見くらいなら良いだろ? ってか、お前だってそうしたいだろ?」
「……」
 途端に、政宗は黙りこくった――全くもって図星だったからだ。


「へぇ。こんな角度から覗き見出来るんか……」
「ちょっと動かせばな」
 政宗は得意げに言ってみせる。
 彼らが集まったのは、とある部屋だ。普段は空き部屋であるそこは、愛が仕掛けた鏡によって丁度台所の様子が窺えるのだ。
「全く、政宗様は……」
 お目付けで来た小十郎だが、しかし気になるのか、時折覗きこんでいる。
「おい。隣にいるのは誰なんだ?」
 一番はしゃいでいる菜々が聞くと、それには成実が答えた。
「亘理の姫の登勢だよ。俺の許嫁」
「へぇ……可愛い子多いな、奥州って。アタシの世話してくれる子も結構可愛いし。誰なんだい? あの蔦っていう子の旦那は」
「……手を出したら俺が斬るぞ」
 低い声で、小十郎が囁く。え、と菜々は目を丸くする。
「お、お前の? 嘘だろ?」
「愛じゃ役立たずだし、猫は俺の影武者だからな。曲りなりとも大名の長曾我部の客人の相手するには、蔦が適任だったんだ……ってか、蔦に聞かなかったんか?」
 政宗は首を傾げると、元親が溜息をついた。
「名前しか言わなかったぜ。ま、俺はそういうの気にしねぇから、聞かなかっただけだ」
「それは申し訳ない。少々物怖じする性質ゆえ、家内には改めて挨拶をさせよう」
 さすがにそれは不躾だと、小十郎は頭を下げる。いやいやと、元親はいつもの態度に似合わず穏やかに笑った。
「だから気にするなって。それより、『こんな時期』にあんな事させねぇ方が良いと思うぜ」
「こんな時期に? 何の事で?」
「お前、旦那だろ……だったら」
「何が旦那だぁ? てめぇだって分かってねぇだろ!」
 ずべしっ、という間抜けな音を響かせて、元親の顔が畳にめり込む。菜々が頭を掴んで押し付けたからだ。
「ったく。この姫若子が……悪いな片倉さん。こいつ、女の事なんざ全然分かってねぇんだよ。って言っても、アンタも分かっていねぇようだけど」
「What's? 蔦、具合でも悪いのか? だったら無理はさせねぇぞ」
 それは初耳だと政宗が首を傾げると、小十郎は首を横に振った。
「まずは薬師に見てもらいます。暑さで参ってしまっているのでしょうから」
「本当か? 全然蔦の事構ってねぇくせに。今すぐ見て来いよ」
 びしっと、政宗は襖の方へと指を指す。
 それに困った顔をする小十郎だが、主の命令では仕方ない。頭を下げて、部屋を出る。
「いいんか? 梵兄」
 成実は聞くも、政宗は苦い顔をしながら頭を振った。
「俺と愛の事ばっかり見てるんだ。あいつだって、たまには蔦とのんびりさせねぇと、参っちまうぜ」
「……それはどうだろうな」
 しかし何かを察しているのか、菜々は顔を曇らせる。
「あの子、もしかして……」
「もしかして?」
 政宗は顔をしかめるも、菜々は首を横に振る。
「いいや。ちょっと具合悪そうなのは本当だけど、無理にさせないと無礼だって思ってるんだよな。けれどアタシ達は構わないから、あの子を休ませてやれよ。目の前で倒れられたら、そっちの方が困るから」
「OK。分かったよ……あ」
 そこで政宗は声を漏らす。
 丁度その時、台所では何やら騒ぎになっていた。


「愛姉様! 大丈夫ですか!」
「大丈夫よ、このくらい」
 愛は苦笑しながら、己の人差し指を軽く舐める。しかしじわりと、切り傷から血が溢れる。
 あの日の芋汁を作ろうと決心したのは良いのだが、芋の皮むきは思っていた以上に大変だ。
「姫様。ここは私にお任せを」
 見かねた喜多がそう言うも、愛は首を横に振る。
「いいえ。殿も自分で皮むきをしたに決まってますわ。ならば私も……」
 だが、危なげな手つきで皮をむく……と言うよりも、もはや実ごと削いでいる愛。周りで手伝う侍女達は見ていられないとばかりにそわそわしている。
 中でも一番困っているのは登勢である。自分が言い出したせいで、こんな事になっているのだ。さすがに不味いと思ってか、遠慮勝ちに止めようとする。
「愛姉様……お手が傷ついてしまいますから……」
「私の手なんて、もうこんなに傷ついてますもの」
 落ち着かなくなってきた空気の中で、愛は溜息をついて芋と包丁をまな板に置くと、登勢にその手の平を見せてやる。
 さすがにこんな時まで手袋はしてはいられない。古い肉刺の痕だらけの手を見せられて、幼い登勢は大きく肩を震わせた。
「姉様……その、御手は……あ、ごめんなさい……」
「構いませんわ。こんな手でも、殿は良いと仰ってくれますもの。それに傷つく事を厭っているほど私は姫らしくもありませんし。ですから、心配するのは見当違いですわ。見ていられないのなら出て行きなさい」
「でも……」
「愛姫様。それを仰ってはいけませんわ」
 しかし、そんな愛をたしなめられるのも、世話役の喜多である。
「誰が芋汁の作り方を教えてくれようとしていますの? 登勢姫様なのですよ」
「けれど、皆が手伝ったら……」
 愛はちらりと、笊(ざる)を見やる。
 そこにあるのは、皮をむき終えた芋である。だがどれも不恰好だ。
「……私のが目立ってしまいますわ」
「そうですね……」
 愛とて、心配してくれる気持ちは理解出来ている。しかしそれでも愛は譲れないのだ。
 喜多も登勢も、結局は愛が自分の手で芋をむき終わるのを、待つしかなかった。


「へぇ。お前も意外な特技持ってんだな」
「そうだぜ。梵兄の料理、すっげぇ上手いんだぜ」
 驚く菜々に成実は胸を張って言う。
「俺は梵兄の熊鍋が一番美味いや。けど、もう食べられ無さそうにないけど……」
「何でだよ?」
「あぁ、確か熊もいるんだよな、ここ……」
 元親は思わず振り向いてしまった。物音がした先には、件の熊がいた。
「ととさまー! 『はなた』だよ!」
 その背中には、果敢にも跨っている銀髪の幼子――紛れも無く元親の息子である千翁丸。愛らしい顔とは裏腹に、度胸は父親の上を行く。あの魔王織田信長ですら、『将来が楽しみだ』と言って刀まで拝領したほどだという。
「すいませんアニキ! どうしてもって言うんで……」
 そんな勇ましい幼子の後ろから、隼人の代わりにお守をしていた部下が顔を出してくる。やれやれと、元親は溜息をついた。
「……ったくまぁ、人に慣れてるようだしな。ところであいつ、お前の非常食か?」
「違うから。登勢が飼ってるんだ」
 話を振られた成実が、憮然となって言う。
「だから、非常食なんて言うなよ。そりゃ、俺がこいつらの母親を食っちまったけどさ……」
「何か、重いんだかどうだか分からねぇ話だな……いや待て。『こいつら』って言わなかったか?」
「あぁ。三つ子なんだよこいつら。それを登勢が保護したって訳。それで俺、あいつに殺されかけた事あったんだぜ……今も思い出すと、腹とか痛くなるんだよなぁ……」
「……お前も苦労してんだな」
 元親はもはやそれしか言えないようである。のそのそと入ってきた花太が成実にじゃれついているのを、背中の千翁丸は、嬉しそうにきゃっきゃと笑っている。これはこれで実に微笑ましいのだが、話を聞いた後だと、何とも微妙な光景に見えるのだろう。呻きすら吐く。
「……伊達って、苦労する家系なんだろうな」
「Yes……そうらしいな。たまに嫌になる」
 一連の光景を同じ心境で見やりながら、政宗は苦い顔で他人ごとのようにつぶやく。
「But……今は大分落ち着いたんだぜ。あいつも、あんな事をしようとしてくれるくらいの余裕も出て来たんだ。だから、今度こそ俺が守ってやらねぇとな」
 そう言って鏡越しで見やれば、芋を鍋に投入して一息ついている愛。その顔は苦労しながらも、様々な事を乗り越えてきた芯の強い穏やかさがある。
「惚気話なんかするなよ。羨ましくなるだろ」
 似たような顔を見せる政宗の傍で、本当に嫉妬したらしい元親はぼそりとつぶやく。そんな彼の妻は、良からぬ嫉妬にすら苦笑を漏らしていた。


「ふぅ……これでひと段落ですわね」
 芋が柔らかくなった頃に、味噌と醤油で味付けをする。そこまでやれば、あとは一煮立ちして完成だ。
「休憩にしましょうか。お茶を入れますわね。何か甘いものでもあるかしら?」
 ようやく気の抜けた声を漏らして、喜多もお茶の支度を始める。登勢もそれを手伝おうと奥へと行ってしまう。
 侍女達も続いたので、そこに残ったのは愛だけだ。
「……」
 もうすぐ完成するとはいえ、それまでは落ち着けないものだ。気になって汁をすくい、一口だけ味見してみる。
「……もう少し、甘いような気がするのですけれど」
 喜多達が作ったものは、こんな感じなのだろう。しかし政宗の芋汁は、もう少し甘くて優しい味だった気がするのだ。
 別に愛は甘いものが好きでもなければ、塩辛いものが嫌いな訳ではない。だが、あの味は何だか『優しかった』のだ。
「……甘いもの、無いかしら?」
 それなら、少し甘いものを足してみよう。そう思ったのだが、辺りを見回してもそれらしきものは見当たらない。
「……これは?」
 仕方ないので、手当たり次第に探してみると、小さな壷を発見する。
 中にあるのは、茶褐色で固形のものである。しかしそれは、愛も見知っていたものであった。
「まぁ。『かりんとう』ですわ」
 それは戦でも使われる保存食の一つである。これで甘くなるはずだと、小さく砕いて中に投入する。
「……何だか、甘すぎますわね」
 味見をしてみるが、何か違う。
 それも当然だ。芋汁には『かりんとう』など入れないからだ――しかし愛はこのくらいでは動じない。
「では、これとこれを……」
 とりあえず、色々入れればどうにかなるに違いない。愛は喜多に呼ばれるまで、微妙な味の調整をし続けたのだった。


「……何で芋汁にかりんとう入れるんだよ」
 それを不幸にも目撃してしまった政宗は、頭を抱え始める。己の膝でうたた寝を始めた千翁丸を抱き直していたせいで、その一瞬を見逃していた元親が首を傾げた。
「何か言ったか?」
「No……別に」
 あんなもの、誰が食うんだ。
 しかし食べるのは間違いなく自分である。元親くらいなら巻き込めるかもしれないが、愛が政宗のために作っているのだ。だから政宗だけは回避出来ない。
「……俺、ちょっと行ってくる」
「どこにだよ?」
「台所」
 そう行って、政宗は立ち上がる。しかし菜々がその腕を引っ張る。
「おいおい。つまみ食いは卑怯だぜ」
「つまみ食いじゃねぇって! 俺は俺のためにやらなくちゃなんねぇ事が……」
「まさか胃薬でも飲みに行く気じゃねぇだろな……」
「んな事するか!」
 しかし、本当はそうである……図星を突かれたため、政宗はつい声を上ずってしまう。
「お前なぁ。喜多達も見てただろ? だから大丈夫だって」
「……」
 その喜多達が目を離した隙に、とんでもない事をやらかしたのだ。そう反論しようとしたが、菜々の目が吊り上がる。
「てめぇ……出来がどうだろうとも、愛妻の作った料理に防衛策講じるなんざ、旦那失格だぞ」
「……」
 胃腸に快心の一撃をくらうよりはマシだろう。しかし菜々は有無を言わさず続ける。
「とにかく、食え。残したら愛ちゃんに代わってアタシが天誅食らわすぞ!」
 ……つまり、死ねと言いたいようだ。呆然となる政宗に、これまた熊とじゃれつくのに忙しかったせいで見ていなかった成実が慰めた。
「まぁ……頑張れよ、梵兄。緊張しすぎると余計に辛くなるぞ」
 まるで合戦前夜である。しかし政宗はもう降伏したくなってきた。


「殿。今宵の芋汁は私が作りましたのよ」
「お前が? ほ、本当なのか……?」
 政宗は自分の膳にだけ載せられた芋汁と愛を見比べる。
 夕餉の席。政宗の誕生日だからと長曾我部夫婦も臨席するその場で、愛は頬を赤らめながら囁いた。
「えぇ……お口にあうか分かりませんけれど……」
「んな事ねぇって」
 そう言いながらも、真実を知っている政宗は、既に緊張のあまり胃が痛くなっている。
「へぇ。アタシも食べたいなぁ……まだ残ってるんかい?」
 と、そこで菜々がそんな事を言う。助け舟かどうかは知らないが、緊張は少しだけほぐれる。
 だが、愛は笑って首を横に振る。
「残っていますけれど、殿が毒見をしてからですわ」
「……毒見?」
 その言葉で、さらに緊張が増してしまう。それでも愛は不安げな様子で政宗を見るのだから、もはや逃げる事も出来ない。
「殿……私の芋汁、食べてくれませんの?」
「え? い、いや……」
 笑顔を必死で保ちつつ、政宗は改めて芋汁を見る。
 外見は、一見普通の芋汁だ。しかしその匂いは芋のものでなく、何か別のものである。
 予想以上の劇薬であった事が、政宗の覚悟を揺るがそうとする。しかしじっと見つめる愛の顔は、真剣そのものだ。
 いつものように、試そうとしているのではない。本当に『おいしい』と言ってくれるように、祈るように見つめているのだ。
 ならば、愛の努力を無駄にする訳にはいかない。胃を決して、政宗は口に含む。
「……おいしい」
 ねっとりとした何かが、口に広がった瞬間――政宗は椀を落とした。
 だが、その言葉だけは言えた。


「……お、おい。大丈夫か?」
「……」
 気がついたら、元親が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「お前、一口飲んだ瞬間に倒れたんだぞ……演技、じゃねぇよな?」
「……そんな事、するかよ」
 起き上がると、そこはあの夕餉の席である。そのまま寝かされていたようだ。
「……愛は?」
 やはり、あまりの失態で引きこもってしまったのだろうか。すると、一緒に様子を見ていたらしい菜々が言ってくれた。
「あいつも、最後の味見してなかったみてぇでよ。さっき、台所に行ったぜ」
「……それで?」
「案の定、台所で倒れてたぜ。自分も卒倒するくらいの味だったんだな」
「……そうか」
「お前、もしかしてあの時……愛ちゃんが余計な事してたの、見てたんか?」
 菜々が恐る恐る尋ねる。政宗はあまり調子の良くない喉をさすりながら頷いた。
「あぁ……かりんとうなんか入れてたぜ。それから、何故か七味とか糖蜜とか……」
「……さすがに、アタシでも食べたくなくなるな」
 その後の惨状を見た手前もあるのか、頭を抱えて呻く菜々。と、そこで成実と登勢がやってきた。登勢の方はもう泣きそうである。
「大丈夫か梵兄? なんか……冗談みてぇな倒れ方したって聞いたぞ……」
「まぁ、何とかな……いや、冗談じゃねぇぞこれは」
「ご、ごめんなさい……私のせいで、こんな事に」
 登勢は頭を下げるも、政宗は首を横に振る。
「気にすんな。あれは愛が悪いんだ。そんで、愛はどこに行ったんだ?」
「部屋でお休みになってますけど……」
「分かった」
 不安な顔をしている一同だが、ここで寝込んでいる場合ではない。頷いて、政宗は立ち上がった。


「……愛?」
 愛は布団の中に丸まっていた。気配からして起きているようだが、ぴくりとも動かない。
 やはり気落ちしているのだろう。政宗はその前に腰を下ろす。
「……喜多達は味付けも一応確認してから、その場を離れたんだとよ。なのに、何でまた色々入れたんだ?」
「……そこまで見ていましたのね。それなら、何故『おいしい』と言ったのですか?」
 愛の声は震えている――泣いているようだ。
「……どんな味でも、そう言おうとしたのでしょう?」
「それは……」
 政宗は顔を歪ませる。
 自分の料理とて、どんな味でも皆は『おいしい』としか言ってくれない。だからいつも、自分が作った事を知らせないように、こっそりと作っていたのだ。
 しかしこの場合は違う。失神するほどまずい料理を、お世辞にも『おいしい』なんて言えるはずがない。
 言えばそれは、侮辱に他ならない。
「……Sorry」
 謝ったって、どうしようもないのに。しかし政宗は、そう言う他が――いや、もう一つあるではないか。
 未だに嗚咽の絶えない愛に、政宗は出来るだけ優しい声で尋ねてみた。
「……愛。一つ聞いていいか?お前……あの味が、気に入らなくて、変えようとしたのか?」
 今更な事ではあった。しかし鏡越しで見ていたから、彼女の声だけでなく、行動の意味も把握出来ていないのだ。せめて彼女の心の中だけでも聞いておきたいのだ。
「だったら、今度……一緒に作ってみようぜ。納得するまで、な」
「……」
 すると、愛はのそりと起き上がった。泣いていたので、顔は白粉も崩れて酷いものである。
 だが、それは女としての話だ。今の彼女は六年前の、城に来たばかりの小さな姫のようにも見えた。
「……あの時の味に、したくて」
 そして、ぼそりとつぶやく。
「……あの時の?」
 政宗は首を傾げるが、すぐに思い出した……初めて愛に振舞った料理は、やはりあの芋汁だという事に。
「……そういう風にしたかったのか?」
「……殿のように、少し甘みがあって、優しい味にしたかったのですわ」
「だから、かりんとうか……」
「……」
 愛はそっぽを向く。本当は恥ずかしくて、顔を背けたのだろう。甘いからと言って、芋汁に甘味を大量に入れる者はさすがにいないはずだ。その程度は彼女でもすぐ察せただろうが、未経験で判断がつかなかったのかもしれない。
「……どうすれば、上手く甘みが出ますの?」
 本当は自分の力でやりたかったのにと。愛はいかにも悔しそうに尋ねる。その反応もまた昔の彼女のようだったから、政宗はつい苦笑を漏らしてしまった。
「あの甘みは、芋そのものの甘みさ。味付けは少し濃い目にして、余計に煮込めば、それで十分さ」
「……それだけ?」
「それだけだ。あと、水も多めにしとけよ。それから煮込みすぎて芋が溶けねぇようにな」
「……」
 愛は落ち込んだように顔を俯かせる。
「……難しいですわ」
 そんな事言われてもと、諦めるようにつぶやく。しかし政宗とてそんな事を思わせるつもりは無い。縮こまる愛を抱き寄せて、その耳元で囁く。
「最初は難しいに決まってるだろ。練習すれば、上手くなるさ」
「……そうでしょうか?」
「Yes……芋の皮むきもな」
 その愛の手を取る。昼間切ってしまった愛の指の傷は、ある程度ふさがっているようだ。
「……また、傷ついてしまいましたわ」
 ようやく顔をあげた愛は苦笑をこぼした。それはもう、傷つくのに慣れた笑顔だ。
 政宗はその小さな手を優しく撫でてやりながら、同じように小さく笑う。
「このくらいなら、痕にもなんねぇよ……」
「そうですわね」
 その胸に擦り寄るも、ふと思い出したかのように政宗の腕から逃れると、その頬に手を滑らせる。
 愛の柔らかな指に、政宗は身を任せる。外した眼帯は傍に置いて、その下の右目蓋にそっと唇を押し当てる――昨年も同じようにやってくれた事であったが、政宗の胸中は今年も歓喜が込み上がる。
「……これだけでも、良いんだぜ」
 これ以上、何もしないで身を任せてくれれば良いのに。つい本音を言ってしまった政宗だが、愛は唇を離してつぶやく。
「……私は愛されるだけの女では、いられないようですの」
「そうだったな……Shit! 困った女だぜ」
 だがそんな反応も今更だ。政宗はその腰に腕を回す。
「だったら、俺を愛してくれ」
「可愛がってくれと仰って欲しいくせに」
「それでも良いぜ。今日は俺の誕生日だからな……」
 にやにやと笑いながら言う政宗に、愛は顔をしかめて、その頬をつねる。
「い、いふぁい……」
「もう寝ますわ。今日はもう、疲れましたもの」
 そっぽを向きながら、愛はさっさと体を離して、またも布団に潜り込む。
 頬をさする政宗だが、しかし邪険にも出来ず、無理矢理己の体も布団の中に入れる。
「……来年も、頼むな」
 そう言って、後ろから抱きしめる。
 前に回った手に、愛が自分の手を重ねる感触を覚えて、政宗は顔を綻ばせる。
 昨年は無理をさせてまで楽しんだものの、今年はこれだけで満たされてしまった――些細なものだが、安らぎと温もりを十分に得て、政宗は目を閉じた。



 ありがとう。
 そんな事すら言えない俺を受け入れてくれて。



 <了>



▼後書
 料理ネタをやりたくて、やってしまった筆頭誕生日記念。
 ・・・愛はこれくらいが可愛いのです。(え)


 2007/08/03


 ※2009/12/16…サイト移転により、加筆修正。

 2014/07/13:サイトリニューアルにより改修

 84年度誕生日話でした。この頃に山形の芋煮の事を知ったので、それをベースに書いてみたり。
 84年の頃になってくると、二人もようやく落ち着いてきた感じがしますね。色々乗り越えてこその穏やかさを書きたいのもあったので、上手くもっていけて良かったです。ただまぁ当時の文章がアレすぎて……本当に申し訳ない。(改修にえらく苦労した後で)

 長曾我部夫婦につきましては、別の夫婦短編の方で。東西大戦第四幕後の事なので、つい便乗してしまいました。彼らもまた改めて色々書きたいものですね……新設定の方でも多分出てくるはずですが、詳細は今のところ未定かな。
 ただ東西大戦の方も更新を再開しない訳にはいきませんので、そちらで存分に暴れてもらいますかね。むふふ。(え)
 ちなみにこの裏話が次の小蔦短編『供寿』でございます。続けてご覧あれ~。

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