二


 三郎の察しの通りというべきか、元就は商人になぞまともに会った試しがない。
 しかしそれでも交渉役をしろとあの従兄が指図したのには、この後の思惑もあっての事だろう……彼は兄の病状が芳しくないと見たから、弟の元就に宗家へ帰参するよう促しているのだ。
 そう思えば平癒祈願なぞ意味もないものだが、少なくとも父の死後も気にかけてくれた実兄を蔑ろにするつもりはない。もし兄がこのまま帰らぬ人になるのなら、嫡子の幸松丸を次代の主として支えるまでである。そういう意味でも、宗家に対して出来る事は今のうちにこなした方が良いのだ。
「貴方が次郎さんとやらだな。話は三郎さんとやらから聞いているぞ……何か陰気な顔してるけど、三郎さんの事はあんまり気にしない方が良いよ」
 そんな事を思っていたから、第一印象も良くないものだったらしい。三郎と名乗った少年が引きあわせたのは、これまた若い少年であった。背も三郎より人並みだから、余計に幼く見えてしまう。
 だが油断ならぬと見たのは、幼げながらも危うい目つきだったからだ。口元は緩んでいながらも、その目だけは笑っていない。かつて誰も信用出来なかった己と同じようなものだ……我ながら、そういう目をした者とは関わらない方が身のためであろう。
 そしてもう一つ気にかかるのが、彼が担ぐ種子島である。手馴れているのか、彼自身にもほんのりと硝煙の匂いが纏わり付く。
「あの人は自分が如何に恵まれているかを自覚してないんだ。腹を立てた所で無駄っていうものさ」
「……そう言うそなたは、余程苦労しているように見えるな」
「こんな所にいるくらいだからな。あぁ、名乗りが遅れたが、俺は八郎だ。幼名だから偽ってはいないぞ……あの人もついこの間名乗った仮名が『弥三郎』っていうから、ある意味偽ってはいないけどな」
「そんな事に拘るつもりはない。我の『次郎』とて仮名からとっておる」
「とすると、やはり貴方は次男坊かな?」
 この彼も察している者らしい。しかし今更偽った所で仕方ないから、元就は遠慮せずつぶやいた。
「そなたこそ八郎と言いながら……ふむ。その歳で良く出来ておるから、苦労してばかりの長男と見える」
「へぇ。そこまで見抜けたのは貴方が初めてだよ……これは足元を見ない方が良さそうだ」
 苦く笑いながらも、やはり目だけは笑っていない彼。しかも声音も硬くなってきたから、どうやらこの彼も訳有りのようである。
「少しでも値切りが出来ればこれ幸いだが、そこまで無慈悲な我でもない。品についても一目見たく思うゆえ、そなたの主とも話をしたい」
「承知しましたよ。案内しましょう」
 身の上話なぞ、さっさと流すに限る。元就が促せば、少年は笑顔を取り繕って案内する。
「やぁやぁ、良くぞおいでくださった」
 船上で出迎えてくれたのは、如何にも裕福な商人であった。荷を盗み見れば俵も酒樽も積んでいるから、万屋でも営んでいるのだろうか。何にせよ広俊の見立て通り、武器もそこらかしこに積んでいるから、柄の悪い連中ばかりが屯(たむろ)している有り様だ。
「弥三郎様……あぁ失敬。三郎殿からお話は聞いておりまする。私めは博多で商いを営んでおります、阿部(あべ)という者でございます」
「次郎……いや、我は安芸の毛利小輔太郎興元が弟、多治比小輔次郎元就と申す」
 船上であれど、人払いも済んだ所での話である。阿部と名乗った商人の傍につくのはあの八郎だけであるから、ここはこちらの誠意も見せる必要はある。荷まで極秘に手配してくれるのなら尚更だ。
「この度は場を整えて感謝する……長曾我部のご嫡男殿にも、後で改めて礼を尽くすつもりだ」
「いやいや、我々は然るべき者と商いをするまででございますよ。今後共ご贔屓出来れば、それで結構です。さて、本題へと入りましょうか」
 そう言って、阿部は八郎へと目を向ける。彼は種子島の代わりに、布に包まれた、細長いものを三本携えていた。
「我々がすぐに手配出来る矢は、この三種でございます。無論、数も期日までにご希望通り揃えましょう」
「一本ずつ見せてくれ」
 矢の吟味をした事もあまり無いが、代表として来たからには良く見なければならない。まず一本、置かれたのは何の変哲もない木製の矢である。
「まずはこちら、安価に仕入れる事が可能である矢であります。軽いため、長弓で良く飛ぶ事でしょう」
「これを最初に見せたという事は、他の二本は別種の矢なのか?」
「矢とて種がございますよ。例えばこの矢は普通のものでありますが、正確には遠くにいる者を射るために使う矢でございます」
 言われてみればそうである。だとすれば他の矢は何だというのだろう……阿部が二本目に見せた矢は、鏃に火薬がつけられた矢だ。
「二本目は火矢にございます。こちらは夜襲に効果的なものでございまする」
「これとて普通の火矢であろう。別に分ける必要があるのか?」
 戦を知らぬ元就とて、矢に触れた事はある。鷹狩とてそれなりにやる方だ……しかし怪訝そうな顔をする元就に、阿部は笑顔のまま答えた。
「ありますよ。貴方様がどのような戦をするのか……仕入れる方とて、出来れば相手の意に沿う方が親切というものでしょう」
「……それも、そうだが」
 使う物によって、どんな手段を使うのか。特に矢は戦略によって種も限られるだろう。そこでと、阿部は最後の一本を見せた。
「そして三本目は特別な逸品でございます……これは一本でもかなりの効果を発揮するでしょう」
「……毒矢、では無さそうだな」
 その三本目すらも、見た目は特異なものではなかった。特徴があるとするなら、その矢羽であるが……他の二本よりも、良い羽を使っているように見える。
「はい。最上の鷲の羽を使った飾り矢でございまする……智に優れる貴方様なら、より効果的な使い方をするとお見受けいたしますが、如何でしょうか?」
「……この矢を、早速社参されている将軍の嫡子に献上仕れば、武田も怯んで戦をする事を躊躇うとでも?」
「もしくは、供をされている大内様に援軍をお頼みする……という算段も立てられるかと」
「ふむ……」
 あの洒落たもの好きな大内になら、良い手土産になるだろう。ついでに面倒な武田も滅ぼすと約束すれば、手勢もいくつか貸してくれるはずだ。
「……一本目の矢を、頂戴しよう」
 しかししばしの推考の後に口から出たのは、最初の普通の矢だ。阿部はその笑顔を保ったまま、厳しい顔を見せる元就に尋ねた。
「多治比様、どうして普通の矢をお選びに?」
「此度の戦に、特別な矢を使う必要はない。火矢とて使うまでもないだろう」
「夜襲もせぬ、と?」
「あの猛将の元繁の事だ。例え格下でも自分で踏み潰したがるだろう。それに我が毛利は国人衆の首領も務めている……夜襲なぞかけず、堂々と郡山を来襲した方が見せしめにもなる」
「ふむ……仰る通りで」
 阿部の顔から笑みが消える。だが嘲られたとは見ておらず、神妙な顔つきになっている。
「では、援軍の方は?」
「大内が今から呼んだ所で、確実に毛利を助けてくれる輩が出るとは言えぬ。そなたらのように、利害があってこそ人は動くものだ。それに我は尼子からの嫁を貰っているのでな。兄上のように信用は貰えまいし、その兄とて今や大内相手に国一揆を起こした張本人だ」
「なるほど……初陣も果たされていないと聞き及んでいましたが、なかなかに慎重なお方でありますな」
 阿部は深く頷いて、先程の二本を片付ける。しかしその包みは先程よりも丁寧なものとなっている。
「いやはや、試すようで申し訳ない。無礼のお詫びに、この二本はここで貴方様に差し上げましょう。お好きな様にお使いくだされ」
「我はそこまで良い交渉をしたとは思えぬがな……」
 終始憮然とした顔で聞いていただけだったのにとつぶやくが、阿部はやはり笑顔のまま二本の矢を差し出した。
「交渉ではありませぬ。ここでした話は、ただの雑談でございますよ……私と交渉したのはあの弥三郎様の方でありますゆえ」
「……その弥三郎とやらの事だが、そなたはそこまで傑物と見るか?」
 そこそこの成果を挙げられただけでも、良しとしようか。そう思ったからこそ出たつぶやきに、阿部は深く頷いた。
「お父君は独力で国人にのし上がったお方ですから、生来ひ弱な弥三郎様をご当主にする事を悩んでおいでだそうです。されどあの方は館におりながらも、着実に得られるものを得ておいでであります。あの通り体つきも逞しいですから、武芸も欠かしてはおりませんでしょう」
「京兆の細川とも誼を持った奴だ。ただの姫若子であれば、誰もまともに相手せぬだろう。そういえば元服したと聞いたが、その諱は何と申すのだ?」
「長曾我部弥三郎元親、だ。土佐の守護であられる細川の晴元様から一字頂いたんだと」
 答えてくれたのは、彼と親しげだった八郎の方である。そういうのは漏らすものではないと、阿部が睨もうとしたが、彼の方はさもありなんと肩を竦める。
「長曾我部の嫡男とまで分かれば、そのうち聞く名だろうし」
「元親、か……覚えておこう」
 海の向こうの勢力もまた、手強いものである。だがまずは眼前の敵だ……元就は席を立つと、改めてとばかりに頭を下げた。
「矢は一万ほど欲しい。出来れば丈夫なものを選りすぐってくれ」
「かしこまりました……ところで、値切りはしないのですか?」
 あの彼から聞いたのか、阿部は冗談混じりで声をかけた。一瞬だけ迷ったが、元就は頭を振った。
「我も十分得るものを得たのでな。また入用であれば、その時に」
「では、その時に受けて立ちましょう……交渉こそ、我らの最大の戦ですので」
 阿部は元就に果敢に言い切った――商人もまた侮りがたい戦相手だが、今回は初陣だと見られて、随分手加減をされたようである。元就はひっそりとそう思いながら、自分もまた強気な笑みで返した。


 船室から出れば、日も大分傾いている。祭の群衆の賑わいも一段と大きいものになってきたから、そろそろ大祭が始まっても良い頃合いだ。
 潮風もなかなか心地よいものだ……山陽の山際で育った元就であったから、今更ながら見えるもの全てが新鮮に感じられた。大役を良い形で終えつつあるから、風景を楽しむ余裕も出てきたのだ。
「旦那様……その包みは、例の矢でございまするか?」
「これはただの手土産だ。交渉は上手くいったから心配するで……なっ!」
 外で待っていた久に戦果を報じる元就――だがその久の背後に居た頭巾の男を見て、元就は思い切り顔を引き攣らす。
「ほう……見込み以上の成果を得られるとは、さすがは小輔次郎様。某の心配は無用でございましたな」
「貴様……何故ここにおる」
 元々陰気な顔に険しさを乗せる元就であったが、彼はその程度の睨みで動じぬ男だ――人生五十年とも言われるが、この彼は五十路の坂に差し掛かっても未だに健在だ。揃って一筋縄ではいかない毛利家臣衆の中でも特に剣呑な彼は、最近になって多治比の元就を良く尋ねるようになっている。ただそれが監視目的なのかどうかは、若い元就も測りかねている有り様だ。
 その男の名は、志道大蔵小輔広良(しじおおくらしょうひろよし)。今の所は笑顔を見せている。
「今宵の大祭に足利の若君もお越しになられると聞き及びましたので、兄君様の名代としてご挨拶に伺った次第です。若君様の社参につきましては、ご存知でございますか?」
「つい先程、長曾我部の嫡子から聞いている。奴の家も護衛についているそうだ……」
 毛利宗家では外交役を務めている広良である。どうせこの商談も知られるだろうと、元就は素直に答える。それを聞いて、広良は意味ありげに目を細める。
「ほう、土佐の長曾我部が……大方、一条の名代として、でしょうか?」
「それもありそうだが、そこまでは聞いておらぬ」
 その一条の縁者が関白位まで賜っているとも知っていたが、名代のつもりは無いだろうと元就は見ている……その若君こと足利義輝は将軍の後継すら危ういほど、武芸に熱中している御仁と聞く。どちらかと言えば、長曾我部の嫡子が元服した事を聞きつけて、社参の供に加えたのだろう。公家に興味を惹かれるとは思えない。
 そう考えた元就の顔色で察したようだが、広良は否定しなかった。どうやら彼の感心も姫若子に向いたようで、七酢漿草の船を仰ぎ見ている。
「あの『姫若子』と誼を持たれたのでございますか……館に引きこもってばかりの軟弱だそうですが」
「いいや、奴は己を欺いておる。外に出たら、恐らく一条なぞ吹き飛ぶかもしれぬぞ」
「真でございますか。では、警戒を怠らぬようにせねばなりますまい」
「されど今回の交渉にて、奴に借りを作ってしまった……今は友好に接した方が吉だ。兄上にはそのように言うておけ」
「……いえ、それは貴方様が心掛けておくべきでございましょう」
 広良が苦くつぶやいた。それを見て、元就も目を細めた。
「……我が戻る頃まではもつのか?」
「今は小康状態にあります。ただ父君と同じでありますゆえ、油断出来ませぬ」
「酒は程々にせよと忠言したというのに」
 心労による酒害は、あの父もそうであった。呆気無く逝ってしまわれたから、あの兄とていつそうなるか分からない。唸る元就に、広良は沈痛な面持ちの久よりも一歩前に出た。
「その病状も外に漏れ出しております。ゆえにこれよりは、貴方様にもしばらく郡山に留まって頂きたい。家臣の動揺を鎮めるには、若様と御前様では役不足です」
「なれば、このまま郡山に向かおう……久、そなたがしばらく多治比の留守居を務めよ」
「承知しました。お任せください」
 久も覚悟を決めた顔で頷く。これが対峙する武田元繁にも伝われば多治比とて危ういだろうが、今は少しでも信頼における者を任せる必要がある。情勢が不安定の中で要の興元が倒れたら、家臣達の動揺は必至だ。
「御方様、そこまでお気張りなされまするな。某が名代を厳選いたしますゆえ……」
「いや、我が選ぶ」
 広良が穏やかになだめるが、元就はそれを拒む。この彼とて何をするか知れたものではない……だが睨んだ元就にも、広良は先程と同じように微笑んだ。
「貴方様は宗家の勢力図というものをご存知でありますまい。某の知らない間柄もご存知であるというのなら、是非ともお頼みしたいものでありますが」
「…………そこまで言うのなら、そなたに任せる」
 宗家の事なら、長く政務に携わってきた広良の方が知っているだろう。『所詮は支城にいるだけの若殿だ』と嘲るつもりで申し出た訳でも無いのは、元就も否定する事が出来ない。
 かつてこの彼は、元就に対して絶対の忠誠を誓っているのだ――それがまだ若い元就を御すためのものだという事も感づいてはいるが、少なくともそれに見合うだけの働きをしてきたのは事実である。
 渋い顔で承知した元就に、広良は微笑混じりのまま、慇懃に頭を下げた。元就が容易に人を信用しない男である事も知っているからこそ、その態度すら納得出来るのだろう。元就にとって、やはりこの彼は扱いにくい男である。
「承知致しました。それから、帰還後は弟君にも警戒されますよう……あの方は若様の後見を狙っておいでです」
「彼奴もか……競う相手がそれとは、我も酒に走る事になるぞ」
 今でこそ別家にいる、異母弟の相合小輔三郎元綱(あいおうしょうさぶろうもとつな)の事である。若くして『今義経』と誉れ高き武芸者となった彼の方が、確かに後見として見栄えも良いだろう……少なくとも『乞食若殿』よりは、だ。
「けれど、そうしない所が貴方様でありましょう。それゆえに某も貴方様に信頼を置けるのでございますよ。今の所、家臣内では嫡流の貴方様を推しておられますゆえご安心を」
「煽てなぞ要らぬ。それよりそなたは外の武田を見ておれ。矢は十日後に届く事となったが、それより前に来られたら面倒だ」
 幼い跡継ぎの後見の話まで出ているのなら、宗家の側近も浮き足立っているようだ。だとすれば、この彼らまで宥める必要がある。
 まだ己とて若いが、覚悟は決めねばならないだろう――だが、それは『多治比』としての己であるのか、それすらも定まってはいない……。
「次郎、商談は済んだのか?」
 深刻な話をしている最中の元就へ、空気を読まずに朗らかな声が飛んできた。視界の端に、あの朱塗りの傘が映る。
「とりあえずこっちは父上と話が纏まったから、細かい事を詰めておきてぇんだ……って、誰だそいつ?」
 あの三郎である。一人で来たという事は、荷運びの一切を任されたらしい。この彼に任す事すらも今となってはあまり好ましくのだが、これも仕方がない。元就は眉を顰める広良へ向く。
「こやつが荷を運ぶ、姫若子こと長曾我部弥三郎元親殿だ……少し前に元服したゆえ、名を改めたそうだ」
「おい、てめぇその名を何処で聞いた!」
「元、でございますか……守護の細川様からですかな? いやいや、人の噂は当てになりませぬな。小輔次郎様より頼もしい御方ではありませぬか」
 怒鳴った三郎こと元親が鬼の如き形相をするも、広良は感心したように破顔する。主よりも高評価をつける気かと、元就も顔を歪める。
「貴様、我を侮辱する気か」
「何をおっしゃいますか。貴方様とて見た目の良き御方であれば、某もこのように申す事は無いのですぞ」
「……もう良い。荷の受け取りもそなたに任せる。どうせ宗家に送るものだ」
 また早逝するような主であっては堪らないというのも、彼の本音だろう。痛感している事を今だけは遠ざけるように、元就は改めて憤る少年へと目を向ける。
「そなたも知っておろうが、毛利の執政の志道大蔵少輔だ。荷はこやつに送れ」
「安芸で暗躍する志道当てに、か。とんでもねぇ客を相手にしちまったようだな……あぁ分かったよ。安芸側の受取はそっちが指定してくれ。俺はそれに合わせてやるよ」
「承知致しました……それからもう一つ、お頼みしたい事が」
 そう言って、広良は元親に微笑みかける……しかし感情のこもっていない笑みである。悪巧みをした時に浮かぶものだという事を元就は知っていたから、すぐに目を背ける。
「これから、貴方様も将軍の若君の護衛に行かれるのでしょう? でしたら、是非ともこの方をお連れして頂きたく」
「は?」
 だが不幸は元親でなく、己に降りかかったようである。何を言い出すんだと慌てて向き直る元就だが、その言葉に元親は眉を顰めるだけだ。
「おいおい、いいのか? その若君の傍には、尼子の爺さんの名代も侍っているんだぞ」
「その名代は、どなたでありますか?」
「詮久って奴だ……あぁ、でも奴が当代だったんだよな。それじゃ名代とも言えねぇな」
「ふむ……ならば貴方様の近習として、というのは如何です?」
「近習かぁ……そうだな。顔さえ割れてなきゃ、まぁいけるだろ」
「誰が行くか」
 あっさりと話がまとまりそうだった所で、元就は不満の声を上げる。だが広良はそっと耳打ちする。
「これは某だけでなく、兄君様のご意向でもあります……将軍家に覚えめでたくあった方が良いのは、某でなく貴方様でございます」
「……貴様、それは」
 まるで毛利家代表として挨拶に行けと唆しているような口ぶりだ。しかも、兄はそれを承知している――となれば、兄はもっと先の事まで見通して、広良を遣わせたのだろう。
 その広良は、素知らぬ顔で囁き続ける。
「若君が社参される事を知ったのは、貴方様が出立した後でございます。御前様はそれを聞いて、小輔三郎様を毛利の名代として向かわせようとしたのです。しかし兄君様は病床にてそれをお止めし、某を遣わせました……そしてその道中で、某はこれを兄君様の間者より頂いた次第です」
 身を寄せたまま、広良は懐から紙片を取り出し、元就の手に握らせる。
「若君様は武芸に興味を持つ御方でありますので、献上の品を携えずとも許すでありましょうが、さすがに尼子の小倅にその場を目撃されると厄介です。どうか機を見てくださいますよう」
「……ようは、内密に謁見しろという事であろう。無論、そのつもりだ」
 まだ周囲を侮らせた方が良い――それは毛利宗家に対しても、か。
 考えがまとまった所で、元就は携えていた包みの一方を広良に押し付ける。
「これは……?」
「商人からの手土産だ。それはそなたが持っておれ。我はこれを持って行くのでな」
 己の手にしていた包み……鷲の矢羽根を見せると、広良はつい噴き出すように笑った。
「これはこれは……貴方様は既にそこまで読んでおられましたか。良き献上品となりましょう」
「いや、これはただの貰い物に過ぎぬ……ゆえに、これを我からの献上の品とするつもりもない」
「では、どうするおつもりで? まさか……とは思いますが」
「阿呆。そのような愚策をすれば我もそこまでぞ」
 将軍家を誅するとまで思われていたのかと、元就は顔を歪める。
「とはいえ、我とてただ傅くつもりもない。兄上も元よりそれは承知であろう……そなたは黙って待っておれ」
「……せめて、それが愚考になりませぬよう振る舞ってくださいませ」
 やはり信用しきっていないようだが、広良は頭を下げる。同じくとんでもない事になってきたと思っているのか、久も浮かない顔であるが、元就はその肩を叩く。
「そなたは大蔵と待て。無論、我は尼子にも手を出さぬ」
「お気をつけてくださいますよう。詮久様は知こそ経久様に劣りますが、武で優れていると聞き及んでおりまする」
 久は矢で何かをしでかす気だと見たらしい――確かにそうであるが、恐らく思っている事は己と違うだろう。宥めるようまた肩を一つ叩いてから、それを脇で眺めていた元親に問う。
「これより我はそなたの近習として出向くが、そなたは構わぬか?」
「俺の方はお前が滅多な事しなければ構わねぇけどな。でも面倒事に巻き込むつもりだったら、その場で海に突き落としてやるぞ」
「巻き込む気はない。是が非でも荷を運んで貰わねばならぬからな……」
 そう言って、元就は手を差し出した。先程の逆と見て、元親は目を瞬かせた。
「な、何だよおい……」
「我は毛利小輔太郎興元が弟、多治比小輔次郎元就だ。呼び名は何でも構わんが、今宵だけはこの名を使うな」
「……じゃ、とりあえずさっきの『次郎』にしといてやる。それなら問題ねぇだろ」
 歳相応の照れ笑いを浮かべながら、彼はその手を握る。
「長曾我部国親が嫡男、長曾我部弥三郎元親だ。改めてよろしく頼むぜ」
 まるで同盟のようなやりとりであるが、それがいつまで続くかは分からない……しかしこの時、元就は別の予感をしていた。
 この彼の縁はそう容易く途切れるものでは無いように思える。ただそれが、敵味方関係なく途切れ得ぬ、『腐れ縁』の類になるしかないのだろうが。


 <続>

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